【TES世界観解説】オブリビオンの動乱と二つの暁 その1|簒奪者の子

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※この記事には、Oblivionのネタバレを含みます。

はじめに

トリビュナルの連載を書いている合間に、管理人は息抜きでOblivionのリマスター版を遊んでいました。久しぶりの帝都を歩いていて、商業地区の本屋で何気なく手に取った一冊の薄い本が、この連載のきっかけです。

第三紀433年、皇帝ユリエル・セプティム七世が帝都で殺されます。モロウウィンドの連載で、囚人を島へ送り出したあの皇帝です。手を下したのは深遠の暁(Mythic Dawn)と名のるデイドラの教団で、オブリビオンの物語はこの暗殺から始まります。

教団を率いていたのは、信徒から「師」と呼ばれたマンカー・キャモランという男でした。ところがゲームの中の本や台詞を読めば読むほど、この男が何者なのかは分からなくなっていきます。年齢も生まれも血筋も、本と台詞で言うことが食い違うのです。

そこでこの連載では、マンカー・キャモランの生まれからオブリビオンのメインクエストの終わりまでを、物語と解説で辿ります。題にある「二つの暁」の一つは、彼の教団の名です。では、もう一つの暁とは何だったのか? それが、この連載の最後の問いになります。

その1は、本編より166年前の話です。第三紀267年、ハイロックの港町で一人の子が生まれました。父と目された男は、同じ日に死んでいます。18年にわたって帝国の西を荒らした、キャモランの簒奪者です。

そしてその日のことを伝えているのが、管理人が本屋で手に取ったあの薄い本でした。題を『避難民たち』(The Refugees)といいます。帝都の商業地区にある「ファースト書店」の棚に並んでいて、軽装の技能書にもなっています。

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第一章: 簒奪者の子

──マンカー。その名は、子が生まれる前から、すべてを滅ぼす者の名として叫ばれていた。

揺らぐ玉座

第三紀も二百年代の半ばにさしかかるころ、タイバー・セプティムの築いた帝国は、玉座のまわりから揺らぎはじめていた。

第三紀247年、元老院が皇帝の世継ぎを退けたのである。

世を去った皇帝ユリエル四世は、異父兄の養子としてセプティム家に入った身であった。帝国で最も富める者たちから成る元老院は、この「よそ者」の皇帝に最後まで心から従わなかった。その子アンドラックは評決で継承の権を奪われ、タイバーの血により近い従兄弟がセフォラス二世として立てられた。アンドラックを推す者たちはこれを認めず、帝国の軍と九年にわたる内戦を続けることになる。

帝国の西は、その争いを冷ややかに見ていた。ハイロックの民は、代々の皇帝に重んじられてきたブレトンである。ところが新しい皇帝セフォラス二世はノルドで、その心はスカイリムとモロウウィンドに向いていた。

さらに南西、深い森のヴァレンウッドでは、古いキャモラン家の王が飾りの王として玉座に残されていた。タイバーの帝国は部族の評議会も森の民に残し、それから二百五十年、森は戦を知らずに過ごした。だが帝国は森を使いたいように使い、あとは顧みなかった。遠い帝国への恨みは、森の奥で少しずつ育っていったのである。

そしてその森で、一人の魔術師が兵を挙げる。

牡鹿王の十八年

第三紀249年のことであった。

魔術師の名をヘイモン・キャモランという。キャモラン家の王位を争うキャモラン・カルトスの相談役を務めていた男で、人は彼をキャモランの簒奪者(さんだつしゃ)と呼んだ。牡鹿王ヘイモンという呼び名もあったが、その由来を記した記録は残っていない。

簒奪者の軍は、死者とデイドラから成ると噂された。

ヴァレンウッドはわずか二年で落ち、軍はシロディールの西、コロヴィアの地へ踏み込んだ。

軍はさらにハンマーフェルを北へ進んだ。北進を止めようと皇帝セフォラス二世が次々に送った傭兵たちは、買収されるか、殺されて死者の兵として簒奪者の列に加わった。

第三紀253年、南の港町リハドとタネスは助けを呼んだが、北のエリンヒルはその声に応えなかった。レッドガードの国は、帝国に加わってからも南と北に割れたままだったのである。その裂け目を通って、簒奪者は北へ進み続けた。十三年のうちに、ハンマーフェルの半ばが簒奪者の手に渡った。

西の空が赤く焼ければ、人々は東へ逃げた。

南が焼ければ、北へ逃げた。

十八年のあいだ、帝国の西に住む人々は、そうやって追われ続けたのである。

ドワイネンの男爵

その逃げ道の果てに、イリアック湾に臨むハイロックの小さな男爵領、ドワイネンがある。

この地の子どもなら誰でも知っている言い伝えがある。第三紀253年、ドワイネンの民は一体のリッチと、その率いるゾンビや亡霊、吸血鬼や骸骨の軍に治められていた。そこへ荒野から一人の男が現れた。男は神々に祝福されて人と獣の軍を授かり、ワイトムア城に巣くう死者の群れを討ち払って、最初の男爵になったという。

のちにドワイネンの民は、その日を記念して、毎年薄明の月の五日にオスロック祭を祝うようになる。言い伝えのどこまでがまことかは分からない。だがオスロックという男爵がドワイネンにいたことは、確かである。

簒奪者の知らせがこの地に届いたのは、第三紀266年の初めであった。諸侯の腰は重く、守りの支度が始まったのは翌年になってからである。湾の大国ウェイレストとセンチネルの王はまだ幼く、ダガーフォールは身内の争いで割れていた。少なくとも八人の領主が、自分の地を守るためにひそかに簒奪者と手を結んだ。民草のなかには、憎いノルドの皇帝の宿敵として、簒奪者に心を寄せる者さえいた。

風向きを変えたのは、オスロック男爵と、イカロン、フリギアス、カンブリアの領主たちである。簒奪者が捕虜をどう扱い、征した地をどう荒らしたか。その知らせは、ほぼ真実のまま湾の国々へ広まった。数か月のうちに、湾の岸にはかつてない数の船が集まった。これに並ぶ船団は、のちに皇帝ユリエル五世がアカヴィルへ送った艦隊しかない。

港町の地下室

決戦の日は、第三紀267年に訪れた。本編より百六十六年前のことである。イリアック湾の海は、両軍の船で埋まった。十八年にわたって帝国の西を荒らしてきたキャモランの簒奪者の軍が、ハイロックの諸侯のかき集めた艦隊と、この湾でついにぶつかったのである。

ドワイネンの港町の娼館の地下に、長く忘れられていた物置がある。

戦のあいだ、そこは傷ついた者たちの病院になっていた。湾の潮の匂いが石の壁からしみ込み、酢に変わった古い葡萄酒と、治療師の持ち込んだ薬草の匂いがそれに混じる。その土の部屋に、五十人を超える人々が息をひそめていた。

その中に、レッドガードの少年ルーカーと、その母ミアク=アイがいた。

母は身重のころに簒奪者の噂を聞いて村を捨て、隣人にも夫にも笑われた。だが二週間後、村は一夜で消え、生き残った者は一人もいなかった。ルーカーは難民の野営地で生まれ、十二年のあいだ野営地から野営地へと移り続けて、ようやくこの緑の地へたどり着いたのである。

その沖に、いま赤い空が迫っていた。

外で、長い咆哮が起こった。

形のない巨きな獣が入り込んできたかのように壁が震え、天井から土埃が降った。今度は誰も悲鳴を上げなかった。傷ついた兵が一人、滅びゆく者のためのマーラの祈りをささやきはじめたとき、寝台の上でボズマーの女が身をよじった。

“マンカー……! 彼が来る!”

誰が来るのかと尋ねた少年に、片腕の老いたレッドガードが「キャモランの簒奪者に決まっているだろう」とうなった。母は老兵をにらみ、あの人は病気なのだと息子に言い聞かせる。若いブレトンの治療師も女のそばへ寄り、「誰も来はしません」となだめた。

斥候の話

そのとき、階段の上から声がした。

地下室じゅうが息をのんだ。だが足を引きずって降りてきたのは、人好きのする顔のボズマーの男で、どう見ても簒奪者ではなかった。

男は斥候のオーベン・エルムロックと名のった。戦の最前には立たず、脇や背後から敵を見ては知らせる役目である。傷を診たのは治療師のロゼイナで、片腕の老兵もフジムと名のって、オーベンの革の鎧の繕いを買って出た。

オーベンの話では、イリアック湾はいま波の上の一つの戦場になっていた。湾の口では敵を食い止めたが、別の軍がロスガリアン山脈を越えてくる。正面に目を引きつけて脇から回り込むこのやり口は、キャモラン・カルトスの兵法を牡鹿王が借りたものだという。

牡鹿王とは誰かと、ルーカーが尋ねた。

“ヘイモン・キャモランも、キャモランの簒奪者も、牡鹿王ヘイモンも、みな同じ男だよ、坊主。ややこしい男でな、名が一つじゃ足りないのさ”

あの男を知っているのかと、ミアク=アイが身を乗り出した。

オーベンの答えは、思いがけないものだった。この戦が始まる前からの、二十年近い付き合いなのである。オーベンはキャモラン・カルトスの斥候頭で、ヘイモンはそのカルトスの魔術師であった。二人がキャモラン家の王位を争ってヴァレンウッドの征服に乗り出したとき、オーベンはその両方を助けていた。

話は、そこで途切れた。

ロゼイナが癒やしの手を止め、術を逆さに流したのである。閉じかけていた傷が、ふたたび口を開いた。ロゼイナには、ファリネスティで巫女を務める従姉がいたのだ。オーベンは慌てて従姉の無事を請け合い、カルトスは刃向かわぬ者を傷つけるなと固く命じていたと言い募った。

フジムが、冷ややかに口をはさむ。「クヴァッチの民は、そうは言うまい」。

“あれはひどかった。俺が見た中で、いちばんひどいことだ。キャモラン・カルトス様は、ヘイモンのしたことを見て泣かれた”

カルトスはヴァレンウッドへ戻れとヘイモンに乞うたが、ヘイモンは主に背を向けた。カルトスとオーベンは逃れ、それから十五年、カルトスは簒奪者と戦い続けてきた。

クヴァッチは、シロディールの西の丘に建つ古い町である。簒奪者がその町で何をしたのかを、詳しく記した記録は残っていない。

主の名

咆哮が、また地下室を通り抜けた。

前よりもずっと大きい。傷ついた者たちは、こらえきれずにうめいた。

これもカルトスの手のまねかとミアク=アイがあざけると、オーベンは声を張り上げた。あれは人を怖がらせるための幻なのだという。力が伸びていた初めのころも、力の衰えたいまも、簒奪者は恐怖に頼るしかない。ヴァレンウッドに二年、ハンマーフェルの半ばにさらに十三年もかかったのは、レッドガードの武勇のせいばかりではなかった。

“あいつにはもう、昔のような主の後ろ盾がないんだ──”

咆哮が高まり、その言葉をかき消した。

やがてすべてが静まったとき、寝台の女がうめいた。

“マンカー! 彼が来る。すべてを滅ぼしに来る!”

主とは誰かと、ルーカーは尋ねた。だがオーベンの目は、もう血に染まった寝台の女に向いていた。

あの女は誰かと、オーベンはロゼイナに尋ねた。答えは冷ややかであった。あなたとあなたのカルトスが寝返る前に、ヴァレンウッドで起こしたあのお優しい戦の難民に決まっている。女の名は、カアリスといった。

オーベンはジェフレの名を小さく唱え、足を引きずって寝台へ寄った。汗と血で張りついた髪を払って呼びかけても、女はあの名を繰り返すばかりであった。

オーベンは眉を寄せた。「何のことか知らん。簒奪者のことでもない」。

だがこの女は、簒奪者のお気に入りだった。

お気に入りはみなあの男に背を向けるのだねとミアク=アイが言い、だからあの男は倒れるのだとフジムが低く応じた。

赤子の名

そのとき、天井を鎧の足音が打った。

扉が勢いよく開き、オスロック男爵の城の衛兵隊長が叫んだ。「港が燃えている! 命が惜しければワイトムア城へ逃げろ!」。沖で狙いのそれた火の玉がただ一つ港を打ち、その火が港町に大きな傷を残したのである。

割ける衛兵は十人しかいない。動ける怪我人も手を貸し、人々は煙の満ちる通りを城へと運ばれていった。数刻ののち、城の中庭で寝台が並べ直されると、ロゼイナはまずオーベンを探し出し、その傷に手を当てて詫びた。自分が治療師であることを忘れていたのである。

カアリスはどこだと、オーベンは尋ねた。

中庭のどこにも、女の姿はなかった。

傷を負った体で逃げられるものかといぶかるオーベンに、ロゼイナは、子を産んだばかりの母は驚くようなことをやってのけるものだと答えた。

女は、身ごもっていたのである。

“思ったほど難しいお産じゃありませんでした。最後に見たとき、あの人は男の子を腕に抱いていました。自分一人で産んだのだと言っていましたよ”

キャモランの簒奪者の愛妾が、身ごもっていた。オーベンがその意味を噛みしめるうちにも、城じゅうに知らせが広まっていった。戦は終わった。簒奪者の軍は、海でも山でも敗れた。

牡鹿王は、死んだのである。

ルーカーは城壁の上から、ドワイネンを囲む暗い森を見下ろしていた。

女は子を抱いて、どこかへ逃れたのであろう。守る者のない母子は、かつてのルーカーとミアク=アイと同じ難民になったのである。女は病んでいたが、その目に怯えはなかった。

簒奪者が死んだのなら、来ると叫ばれた「彼」とは、いったい誰なのか?

女はほかに何も言わなかったのかと、オーベンが尋ねた。

“赤ん坊の名前だけは、教えてくれました。──マンカー、と”

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解説 ──簒奪者が死んだ日に

簒奪者が死んだ日に、マンカーは生まれました。けれど帝国にとってその日は、終わりではなく、百年かかる立て直しの始まりでした。

この百二十年に何が起きたのか?

物語は、第三紀247年の跡目争いから、267年にマンカーが生まれた日までを追いました。その先のユリエル七世の即位まで、百二十年を大まかに分けると、次の三幕になります。

  • 玉座がぐらつく(247〜249年):血筋の弱い皇帝と、強くなりすぎた元老院
  • 簒奪者の十八年(249〜267年):キャモランの簒奪者が帝国の西を荒らし、湾の戦で死ぬ。同じ日にマンカーが生まれる
  • 百年の立て直し(268〜368年):四代の皇帝が、ほどけかけた帝国を縫い直す

玉座がぐらつく(第三紀247〜249年)

発端は、皇帝の血筋です。ユリエル四世は、母こそ女帝カタリア一世ですが、父はブレトンの貴族ラリアット家の人で、セプティム家の生まれではありません。ラリアット家もセプティムの遠い親戚ではありましたが、皇帝は異父兄キャシンダール一世の養子になって、ようやくセプティムを名のれたのです。

そこにつけ込んだのが、帝国一の金持ちが集まる元老院です。皇帝と元老院は何度もぶつかり、勝つのはいつも元老院でした。ユリエル四世が死ぬと、元老院は息子アンドラックの継承を取り上げ、タイバーの血により近い従兄弟をセフォラス二世として玉座に据えます。帝国はいきなり、九年にわたる跡目争いの内戦を抱えました。

おまけに新しい皇帝はノルドで、目はスカイリムとモロウウィンドを向いていました。代々の皇帝に大事にされてきたハイロックの人たちは、この皇帝を快く思いませんでした。帝国の西の心が皇帝から離れかけていた、ちょうどそのときに、簒奪者が現れます。

セプティム家の皇帝たちの家系図。ペラギウス三世とカタリア一世からユリエル七世まで、在位の年つき

簒奪者の十八年(第三紀249〜267年)

第三紀249年、キャモラン家の王位を争うカルトスの魔術師ヘイモン・キャモランが、ヴァレンウッドで兵を挙げます。これがキャモランの簒奪者です。軍は死者とデイドラだと噂され、森の国はわずか二年で落ちました。

簒奪者は北へ向きを変え、シロディールの西のコロヴィアへ踏み込みます。クヴァッチが荒らされ、それを見た主君カルトスは簒奪者と手を切りました。次はハンマーフェルです。皇帝セフォラス二世が送った傭兵は、買収されるか、殺されて死者の兵にされました。十三年かけて、ハンマーフェルの半ばが簒奪者のものになります。

知らせがハイロックに届いたのは266年でした。ところが湾の大国は王が幼かったり身内で揉めていたりで動けず、こっそり簒奪者と手を結ぶ領主までいました。流れを変えたのは、ドワイネンのオスロック男爵と湾の領主たちです。数か月で集まった大艦隊が、267年の火の波の戦いで簒奪者の艦隊を湾の口で食い止め、山を越えてきた軍も打ち破りました。

簒奪者が死んだその日、ドワイネンの地下室で、マンカーが生まれます。

簒奪者の十八年 ──戦の軌跡第三紀249〜290年、西タムリエルの戦い
イリアック湾アビシアン海ロスガリアン山脈簒奪者の軍北のコロヴィアへハンマーフェルへ簒奪者の艦隊山を越えた軍皇帝の傭兵湾の諸侯湾の艦隊アカヴィルへクヴァッチアレンシアリハドタネスエリンヒルドワイネン帝都?マンカー誕生第三紀267年、簒奪者が死んだその日ドワイネンの港町の地下室で
  1. 第三紀249年簒奪者、ヴァレンウッドで兵を挙げるキャモラン家の王位を狙うヘイモン・キャモランが、アレンシアで死者とデイドラを呼び出し、森の国を攻める。軍は死者とデイドラばかりだと噂された。
  2. 第三紀251年ごろヴァレンウッドが落ちるわずか二年で、森の国はまるごと簒奪者の手に渡った。
  3. 第三紀251〜252年ごろ北のコロヴィアへ。クヴァッチが荒らされる簒奪者はシロディールの西へ踏み込む。クヴァッチで起きたことを見て、主君カルトスは簒奪者と袂を分かった。
  4. 第三紀253年ハンマーフェルへ南のリハドとタネスが助けを呼ぶが、北のエリンヒルは応えない。皇帝セフォラス二世の送った傭兵は、買収されるか、殺されて死者の兵にされた。
  5. 第三紀264年ごろハンマーフェルの半ばが落ちる簒奪者の支配は、ヴァレンウッドからコロヴィア、ハンマーフェルの南まで広がった。
  6. 第三紀266年知らせがハイロックに届くハイロックの諸侯は動かず、ひそかに簒奪者と結ぶ領主もいた。ドワイネンのオスロック男爵と湾の領主たちが、艦隊を集めはじめる。
  7. 第三紀267年火の波の戦い簒奪者の艦隊は湾の口で食い止められ、ロスガリアン山脈を越えてきた軍も敗れた。狙いのそれた火の玉が一つ、ドワイネンの港を焼く。
  8. 第三紀267年簒奪者の死、マンカーの誕生本拠のヴァレンウッドが背き、征服地も離れたすえに、簒奪者はイリアック湾で滅んだ。同じ日、ドワイネンの地下室で、一人の女が男の子を産む。名はマンカー。
  9. 第三紀268〜290年ユリエル五世、東の海へセフォラス二世の子ユリエル五世は、海の向こうの島々を征し、ついにアカヴィルへ攻め入る。皇帝はイオニスの戦いで死んだ。
  • 簒奪者の支配地
  • 簒奪者の進軍
  • 帝国・湾の諸侯
  • 戦い

百年の立て直し(第三紀268〜368年)

簒奪者を倒したのは、皇帝ではなく湾の領主たちでした。帝国はすっかり「頼りない帝国」と見られてしまいます。そこから立ち直るまでに、四代の皇帝と百年がかかりました。

  • ユリエル五世(268〜290年):海の外の島々を次々に征して、帝国の力を見せ直す。けれどアカヴィル遠征で戦死
  • ユリエル六世(290〜320年):五歳で即位。大人になってから、元老院に握られていた政治を取り戻す。賢者ユガリッジは「ユリエル五世はエスロニーを征したが、ユリエル六世は元老院を征した」と言った
  • モリハーサ(320〜339年):簒奪者の時代から続いていた反乱を、慎重に一つずつ鎮める。最後は刺客に倒れる
  • ペラギウス四世(339〜368年):叔母のやり方を受け継ぎ、タムリエルを一つにまとめかける

そして第三紀368年、ペラギウス四世の子ユリエル・セプティム七世が玉座に就きます。のちに別のエピソードで語る、あの皇帝です。

年表

年出来事
第三紀202年ユリエル四世が即位。セプティム家の生まれでない皇帝
247年元老院がセフォラス二世を立てる。アンドラック派と九年の内戦
249年簒奪者がヴァレンウッドで兵を挙げる
251年ごろヴァレンウッドが落ち、コロヴィアでクヴァッチが荒らされる
253年ハンマーフェルへ。リハドとタネスの呼びかけにエリンヒルは応えず
264年ごろハンマーフェルの半ばが簒奪者の手に
266年知らせがハイロックへ。オスロック男爵と湾の領主が艦隊を集める
267年火の波の戦い。簒奪者が死に、同じ日にマンカーが生まれる
268年ユリエル五世が即位し、海の外へ攻め入る
290年ユリエル五世がアカヴィルで戦死。五歳のユリエル六世が即位
313年ユリエル六世が元老院を従える
320年ユリエル六世が落馬で死去。女帝モリハーサが即位
339年モリハーサが暗殺され、ペラギウス四世が即位
368年ユリエル・セプティム七世が即位

簒奪者とは誰だったのか?

キャモランの簒奪者の名はヘイモン・キャモランで、斥候オーベンはこの男の呼び名を三つ並べてみせます。

“ヘイモン・キャモランも、キャモランの簒奪者も、牡鹿王ヘイモンも、みな同じ男だよ、坊主。ややこしい男でな、名が一つじゃ足りないのさ”
(Haymon Camoran, the Camoran Usurper, Haymon Hart-King, they’re all the same, lad. He’s a complicated fellow, and needs more than one name.)

ジェロス・アルブリー著 『避難民たち』 より

日本語版ではこの男を「強奪者キャモラン」と訳していますが、原文の Usurper は王位を力ずくで奪う者のことなので、この連載では簒奪者と書きます。

オーベンの話では、ヘイモンはもともとキャモラン・カルトスに仕える魔術師で、その相談役でした。二人は手を組んでキャモラン家の王位を争い、ヴァレンウッドの征服を始めます。つまり簒奪者は、王位を狙う男のそばにいた魔術師として歴史に現れたのです。

死者とデイドラの軍

帝国の歴史を記した本に『帝国の略歴』があります。日本語版では『帝都の略歴』という題ですが、原題の Empire は帝都ではなく帝国のことなので、この連載では『帝国の略歴』と書きます。

簒奪者の軍について、この本はこう書いています。

“賢者エラインタインの言葉を借りれば「暗い悪夢の底から」、キャモランの簒奪者を名のる男が現れた。男はデイドラと死者の戦士の軍を率いてヴァレンウッドを荒らしまわり、王国を次々と征した”
(“From out of a cimmerian nightmare,” in the words of Eraintine, a man who called himself the Camoran Usurper led an army of Daedra and undead warriors on a rampage through Valenwood, conquering kingdom after kingdom.)

ストロナッハ・コージュ三世著 『帝国の略歴』第3巻 より

ところが『簒奪者の没落』という本は、同じ軍を別の目で見ています。伝説では死者とデイドラだけの軍でしたが、実際にはレッドガードとボズマーが大半だったというのです。この本の見立てでは、簒奪者ははじめにアレンシアでデイドラと死者を呼び出し、それを征した土地の兵と少しずつ入れ替えていきました。

言い換えると、簒奪者の軍の恐ろしさは噂に支えられていました。『避難民たち』の咆哮も同じで、オーベンによれば、あれは人を怖がらせるための幻です。

簒奪者は、恐怖を兵法にして帝国の西を歩いた男でした。

ドワイネンのリッチは簒奪者だったのか?

簒奪者の正体について、いちばん思い切ったことを書いているのは、Skyrim に置かれた年表の本『第三紀の略年表』です。この本は、簒奪者そのものをリッチと呼んでいます。リッチとは、術で死を越えて生き続ける魔術師のことです。

“第三紀249年 リッチ、キャモランの簒奪者が帝国へ攻め入る …… 第三紀253年 キャモランの簒奪者が「悪夢の軍勢」をもってドワイネンの地を治める”
(3E 249 – Invasion of the Empire by the lich, Camoran Usurper … 3E 253 – Camoran Usurper controls the Dwynnen Region with “Nightmare Host”)

ジャスパス・イグナテウス著 『第三紀の略年表』 より

253年は、物語で見たドワイネンの言い伝えで、リッチの軍がこの地を治めていた年です。『簒奪者の没落』は、その言い伝えをこう書いています。

“ドワイネンの子どもなら誰でも話してくれるだろうが、言い伝えでは、何年も何年も前(記録係たちは第三紀253年ということで一致している)、ドワイネンの民は一体のリッチと、その率いるゾンビや亡霊、吸血鬼や骸骨の軍に治められていた”
(The legend, as most any Dwynnen child will tell you, is that years and years ago (archivists have agreed to the year 3E 253), the people of Dwynnen were ruled by a lich and its armies of zombies, ghosts, vampires, and skeletons.)

パロー・イルスル著 『簒奪者の没落』 より

二冊を重ねると、ドワイネンを治めていたリッチの軍は簒奪者の「悪夢の軍勢」で、ドワイネンは253年に一度、簒奪者の軍を退けていたことになります。ところが『簒奪者の没落』は、簒奪者の知らせがハイロックに届いたのは266年の初めだと書いています。簒奪者が253年にドワイネンを治めていたのなら、ハイロックが13年も知らずにいたはずがありません。

しかも『簒奪者の没落』は、リッチの話を言い伝えとしてしか扱っていません。簒奪者の軍についても、伝説では死者とデイドラばかりだが、実際にはレッドガードとボズマーが大半だったと書く本です。同じ死者の軍を、一冊は言い伝えとして疑い、もう一冊は年表の出来事として書いているのです。

簒奪者は、本によって魔術師にもなり、リッチにもなる男でした。

キャモランとはどんな家か?

キャモランの簒奪者の「キャモラン」は、ヴァレンウッドの王家の名です。それも、タムリエルの暦の始まりに名を残す王家です。神話の時代の出来事を並べた本『人類の誕生以前』は、暦の数え方をこう書いています。

“神話紀は、昔のノルドの学者たちによって、彼らの「時の始まり」から逆に数えた年の連なりとして数えられた。その始まりとは、第一紀0年として記録されたキャモラン朝の創始である”
(The Merethic Era was figured by early Nord scholars as a series of years numbered in reverse order backward from the their ‘beginning of time’ — the founding of the Camoran Dynasty, recorded as Year Zero of the First Era.)

シマリーンのアイカンター著 『人類の誕生以前』 より

『帝国のポケットガイド』第3版も、第一紀の始まりとして昔から使われてきたのは、エプレア王がキャモラン朝を開いた年だと書いています。気ままなボズマーを一つにまとめたエプレアの手柄は、タムリエルの歴史でも指折りの武勲に数えられています。

ところがこの王家は、のちに何度も外の力に屈しました。第一紀2714年には、長い戦と疫病の末にヴァレンウッドが帝国に落ち、帝国は森がふたたび一つにまとまらないよう、森の諸侯をばらばらに独り立ちさせています。そして第二紀830年には、王位を争う世継ぎの一人がサマーセットのハイエルフを後ろ盾にし、ここからアルドメリ自治領が生まれました。1998年の外伝『Redguard』に付いた『帝国のポケットガイド』第1版は、こう書いています。

“アルドメリ自治領の始まりは第二紀830年、キャモラン朝の世継ぎたちがヴァレンウッドの王座を争いはじめたときにさかのぼる。……ハイエルフはすぐさま、自分たちの推す世継ぎキャモラン・アナクセメスのために、仮の政府サルモールを立てた。そもそもアルドメリ評議会と盟約を結んだのは、この世継ぎの血筋だった”
(the Aldmeri Dominion has its origins in 2E 830, when the heirs of the Camoran Dynasty began to fight over the Valenwood throne. … the High Elves quickly established a provisional government, the Thalmor, on behalf of their own claimant, Camoran Anaxemes, whose bloodline had struck the pact with the Aldmeri Council in the first place.)

帝国地理学会著 『帝国のポケットガイド』第1版(Redguard) より

きっかけは、ボズマーの一派が、自分たちの推す世継ぎへの支えと引き換えに、西のシロディールへ土地を譲ろうとしたことでした。そこへサマーセットのハイエルフが攻め込み、ほかの世継ぎたちは黙らされます。アナクセメスが王座の代わりに払ったのは、アリノールの王への五十年の臣従でした。キャモランの王座は、外の力を後ろ盾にした者が座る椅子だったのです。

タイバー・セプティムの帝国のもとでも、キャモランの王は飾りの王として残されていました。そこへ第三紀249年、古い王座を名のる者が現れます。『帝国のポケットガイド』第3版は、簒奪者を「キャモランの古い王座を狙う僭称者」と呼んでいます。この僭称者は、ありふれた味方とデイドラの味方を連れて、ヴァレンウッドを駆け抜けました。

ゲームの外の話もあります。初期のシリーズを書いたテッド・ピーターソンは、2004年に公式フォーラムで「エプレア王と簒奪者は同じ人物か」と聞かれました。答えは、同じではないが、簒奪者はその名で古い王朝を指していたのだ、というものでした。

簒奪者が名のったのは、タムリエルの暦の始まりを背負った王家の名でした。

カルトスは敵か味方か?

キャモラン家の王位を狙っていたのは、簒奪者ひとりではありません。簒奪者の主君だったキャモラン・カルトスもまた、王位を争う一人でした。そのカルトスは、『避難民たち』の中で一度も姿を見せません。人柄を語るのは、斥候のオーベンだけです。

“あれはひどかった。俺が見た中で、いちばんひどいことだ。……キャモラン・カルトス様は、ヘイモンのしたことを見て泣かれた。カルトス様はできることは何でもして止めようとなさった。牡鹿王に、ヴァレンウッドへ戻ってくれと頼み込みもなさったんだ。だがあいつはカルトス様に背を向け、俺たちは逃げた。俺たちはあんたらの敵じゃないし、一度だってそうだったことはない。カルトス様には、簒奪者がコロヴィアの西とハンマーフェルにもたらした惨事を止められなかった。だからこの十五年、これ以上の惨事を防ごうと戦ってこられたんだ”
(“That was horrible, the worst thing I have ever seen,” … “Kaltos wept when he saw what Haymon had done. My master did everything he could to stop it, begging the Hart-King to return to Valenwood. But he turned on Kaltos, and we fled. We are not your enemy, and we have never been. Kaltos could do nothing to prevent the horror that the Usurper has brought to the Colovian West and Hammerfell, and he has fought for fifteen years to prevent more.”)

ジェロス・アルブリー著 『避難民たち』 より

ところが治療師のロゼイナには、カルトスはまるで違って見えていました。寝台の女は誰かと尋ねたオーベンに、ロゼイナはこう返しています。

“決まっているでしょう、難民の一人よ。あなたとあなたのカルトスが寝返る前に、ヴァレンウッドで起こしたあのお優しい戦のね”
(One of the refugees, of course, from your friendly little war in Valenwood before you and your Kaltos changed sides,)

ジェロス・アルブリー著 『避難民たち』 より

ロゼイナから見れば、カルトスはヴァレンウッドを攻め落とした男で、オーベンはその手先です。オーベン自身も、王位を争うカルトスとヘイモンの二人を助けてヴァレンウッドの征服を始めたと話していました。カルトスが簒奪者と袂を分かったのは、簒奪者がコロヴィアへ兵を向け、クヴァッチを荒らしたあとでした。

言い換えると、カルトスはヴァレンウッドの民にとっては攻め手で、ハイロックの民にとっては、寝返ったあとも信じきれない相手でした。敵だったことは一度もないというオーベンの言葉は、寝返ったあとの側から見た言葉なのです。

簒奪者の戦は、キャモラン家の跡目争いが帝国の西へあふれ出した戦でもありました。

簒奪者の「主」とは誰か?

『避難民たち』には、途中で断ち切られる台詞が一つあります。簒奪者の力が衰えたわけを、オーベンが語りかけた所です。

“レッドガードのあんたらには悪いが、あいつを押しとどめてきたのは、あんたらの武勇だけじゃない。あいつにはもう、昔のような主の後ろ盾がないんだ──”
(No offense to you Redguards, but it isn’t only your battle prowess that has been holding him back. He does not have the support he used to have from his Master -)

ジェロス・アルブリー著 『避難民たち』 より

言葉は咆哮にかき消され、主とは誰かというルーカーの問いに答える者はいません。この主は、キャモラン・カルトスのことだと読むこともできるでしょう。ヘイモンはもともとカルトスの魔術師で、二人が組んでいたあいだ、ヴァレンウッドはわずか2年で落ちています。ところが袂を分かったあとは、ハンマーフェルの半ばを落とすのに13年もかかりました。後ろ盾を失って力が落ちたという話に、よく合います。

けれど英語の原文では、この主だけが大文字で始まっています(Master)。オーベンが自分の主カルトスを指すときは小文字でしたから(my master)、本は二人の主を書き分けているのです。そのうえ簒奪者の軍は、デイドラを呼び出して戦う軍でした。大文字で書かれた主が定命の者でなかったとしても、不思議はありません。簒奪者の背後には、デイドラの王のような主がいたのかもしれません。

ゲームの外にも、手がかりが一つあります。1996年に出た Daggerfall の公式攻略本『The Daggerfall Chronicles』です。この本は簒奪者の生まれについて、ブレトンの女とデイドラの王モラグ・バルのあいだの子だったというのが「根強い伝説」だと書いています。ゲームの中の本は、この伝説に一度も触れていません。それでも、デイドラの軍を率いた男の背後にデイドラの王を見る読み方は、Daggerfall のころからあったのです。

主の名を、この本は最後まで明かしません。確かなのは、簒奪者の力が主の後ろ盾とともに衰えていたことです。

簒奪者はなぜ敗れたのか?

十八年も止められなかった簒奪者が、267年のただ一度の戦で滅んだのはなぜでしょうか? 答えは、本によってまるで違います。

本簒奪者が敗れたわけ
『避難民たち』主の後ろ盾を失い、恐怖の幻に頼るしかなくなっていた
『簒奪者の没落』オスロック男爵と湾の領主たちが大艦隊を組んだ。天候も簒奪者に背いた
『帝国のポケットガイド』第3版ヴァレンウッドが背いて本拠を失い、征した地も次々に背いた
『帝国の略歴』皇帝の働きは、ほとんど関わっていない

いちばん違う道筋を書いているのは、『帝国のポケットガイド』第3版です。この本では、簒奪者が倒れたのは湾の戦より前に、足もとの森が背いたからでした。

“ヴァレンウッドがヘイモン・キャモランの支配を振り払う力を見いだすまでに、二十年近い圧政を要した。簒奪者が本拠を失うと、コロヴィアとハンマーフェルの征服地も背き、その軍は第三紀267年、ハンマーフェルとハイロックのあいだのイリアック湾で滅ぼされた”
(It took nearly two decades of tyranny before Valenwood found the strength to shrug off Haymon Camoran’s rule. When he lost his seat of power, the Usurper’s conquests in Colovia and Hammerfell rose in revolt, and his army was destroyed in the Iliac Bay between Hammerfell and High Rock in 3E 267.)

帝国地理学会著 『帝国のポケットガイド』第3版 より

ボズマーの斥候は主の後ろ盾を語り、ドワイネンの英雄の本は湾の艦隊を語り、ヴァレンウッドの章は森の反乱を語ります。どの本も、語り手の立つ場所から見た勝ち方を書いているのです。そして四冊のどれも、簒奪者を倒したのが皇帝だとは書いていません。

皇帝はなぜ止められなかったのか?

簒奪者が西を荒らした18年のあいだ、帝国を治めていたのはセプティム家の皇帝セフォラス二世です。ところがこの皇帝は、即位したときからアンドラックとの内戦を抱えていました。元老院がハイロックのショーンヘルム王国を与えてその戦を終わらせたことを、賢者エラインタインは「タイバー・セプティムの心臓が、もう脈打っていない」と評しています。帝国を築いた皇帝の力は、もう西の端まで通わなくなっていたのです。簒奪者に対して皇帝が打った手を、『帝国の略歴』はこう書いています。

“セフォラス二世は簒奪者の北進を止めようと、ハンマーフェルへ次々に傭兵を送った。だが傭兵たちは買収されるか、殺されて死者として起こされた”
(Cephorus II sent more and more mercenaries into Hammerfell to stop the Usurper’s northward march, but they were bribed or slaughtered and raised as undead.)

ストロナッハ・コージュ三世著 『帝国の略歴』第3巻 より

そのうえ、簒奪者をようやく止めたのも皇帝ではありませんでした。『帝国の略歴』は、そこをはっきり書いています。

“手短に言えば、簒奪者の軍が滅んだことに、皇帝の働きはほとんど関わっていない。その結果は地方の大勝利であり、無力に見える帝国への敵意の高まりであった”
(In short, however, the destruction of the forces of the Usurper had little do with the efforts of the Emperor. The result was a great regional victory and an increase in hostility toward the seemingly inefficacious Empire.)

ストロナッハ・コージュ三世著 『帝国の略歴』第3巻 より

『簒奪者の没落』は、ハイロックの側の事情をもっと生々しく書いています。湾の大国の王たちは幼いか身内で争っていて、少なくとも8人の領主がひそかに簒奪者と手を結んでいました。そのうえ民草は、簒奪者に好意さえ寄せていたというのです。

“ハイロックの民草は、憎い皇帝の宿敵として、キャモランの簒奪者に好意を寄せていた”
(The attitude of the common men of High Rock was sympathetic toward the Camoran Usurper as an archfoe of this hated Emperor.)

パロー・イルスル著 『簒奪者の没落』 より

つまりハイロックの民は、初めは簒奪者を味方のように見ていたのです。ブレトンを重んじてきたそれまでの皇帝たちと違い、ノルドの皇帝はハイロックの民に好かれていませんでした。憎い皇帝の敵なら味方かもしれない、と民は考えたわけです。

簒奪者との戦は、セプティム家が勝った戦ではありませんでした。勝ったのは湾の領主たちで、皇帝はかえって西の信頼を失ったのです。

帝国はいつ立ち直ったのか?

簒奪者の戦で、帝国は「無力な帝国」と見られるようになりました。その傷が癒えるまでには、四代の皇帝と百年がかかっています。

最初に手を打ったのは、セフォラス二世の子ユリエル五世でした。『帝国の略歴』によれば、ユリエル五世は玉座に就くとほとんど同時に海の外へ攻め入り、タムリエルの目を内の争いからそらしました。そうして人々の目を、「帝国に眠る力」のほうへふたたび向けさせたのです。ところがアカヴィル遠征は、皇帝の死で終わりました。遠征の失敗を調べた委員会の報告書『イオニスの惨事』は、送った軍が小さかったわけの一つを、こう書いています。

“帝国のほかの地から軍団を引き抜くこともできなかった。キャモランの簒奪者の記憶はまだ新しく、皇帝は、帝国の守りを考えればタムリエルの外にこれ以上の兵を集めることはできないと考えた(当委員会も同じ考えである)”
(Neither could the rest of the Empire be denuded of legions; the memory of the Camoran Usurper was still fresh, and the Emperor believed (and this Commission agrees) that the security of the Empire precluded a larger concentration of military force outside of Tamriel.)

委員長ポトライド卿著 『報告書:イオニスの惨事』 より

簒奪者の死から20年がたっても、その影は帝国の軍の動かし方を縛っていたのです。しかもこの報告書は、遠征が敗れたわけの一つに天候を挙げています。冬の嵐が船団を砕き、春には熱い風が川を干上がらせました。湾の戦で簒奪者に背いた天候が、アカヴィルでは皇帝に背いたのです。

国の内の傷は、もっと長く残りました。三代あとの女帝モリハーサの時代を、『帝国の略歴』はこう書いています。

“だが帝国の州の外では、帝国はゆっくりとほどけていた。公然の反乱と内戦が、祖父セフォラス二世の時代から、止める者もなく続いていたのである”
(Outside the Imperial Province, however, the Empire had been slowly disintegrating. Open revolutions and civil wars had raged unchallenged since the days of her grandfather Cephorus II.)

ストロナッハ・コージュ三世著 『帝国の略歴』第4巻 より

セフォラス二世の時代とは、簒奪者が西を荒らした時代のことです。その乱れをモリハーサが一つずつ鎮めはじめ、甥のペラギウス四世が引き継ぎました。ペラギウス四世が29年の治世を終えた第三紀368年、タムリエルは「ユリエル一世の時代からこのかた、最も一つにまとまりかけていた」と、『帝国の略歴』は書いています。

簒奪者の残した傷は、百年かけてようやくふさがりかけていました。その年に玉座に就いたのが、ユリエル・セプティム七世です。

マンカーは誰の子だったのか?

ゲームの本編で、マンカーが自分の親を語る場面はありません。その生まれを伝えるのは『避難民たち』だけで、この本は子の父を一度も名指ししていません。本の中で、生まれた子について何かを知っている人物は3人です。

  • カアリス:子の母で、ボズマーの女。オーベンによれば簒奪者のお気に入りだった。熱に浮かされて「マンカー」と叫び続ける
  • オーベン:簒奪者を20年近く知る斥候。カアリスが簒奪者の女だったことは知っていたが、身ごもっていたことは知らなかった
  • ロゼイナ:子を抱いた母を最後に見た治療師。母は一人で産んだと言い、子の名だけを告げて消えた

本が書いていること:簒奪者の愛妾が、簒奪者の死んだ日に一人で男の子を産み、子を抱いて姿を消した
本が書いていないこと:子の父の名と、母がいつ簒奪者のもとを離れたか

つまり「簒奪者の子」という話は、簒奪者の女が身ごもっていたというオーベンの驚きから出たものです。

“身ごもっていたとは。……キャモランの簒奪者の愛妾が、身ごもっていたとは”
(“She was pregnant,” … “The mistress of the Camoran Usurper was pregnant.”)

ジェロス・アルブリー著 『避難民たち』 より

しかもカアリスは、すでに簒奪者のもとを離れていたように見えます。ミアク=アイの言うとおり簒奪者のお気に入りはみなあの男に背を向けていますし、ロゼイナもカアリスを、ヴァレンウッドの戦から逃れてきた難民だと思っていました。

それでも本の運びは、はっきりしています。簒奪者の死が告げられるその日に簒奪者の女が子を産み、子を抱いて姿を消すのです。父を名指ししないまま、本は二つの出来事を一日に重ねました。

母は誰が来ると叫んだのか?

この本には、もう一つ奇妙な所があります。カアリスは子が生まれる前から、その名を叫んでいたのです。

“マンカー! ……彼が来る。すべてを滅ぼしに来る!”
(“Mankar!” … “He comes, and he will destroy all!”)

ジェロス・アルブリー著 『避難民たち』 より

地下室の者たちは、みな簒奪者のことだと思いました。ところが簒奪者の呼び名を知りつくしたオーベンが、それは簒奪者のことではないと言い、答えが出たのはお産のあとでした。「マンカー」は、生まれてくる子の名だったのです。言い換えると、母は腹の中の子を「すべてを滅ぼしに来る者」と呼んでいました。簒奪者の女が、簒奪者ではない誰かの到来を叫んでいたわけです。

本の終わりで、ルーカーは城壁の上からこの叫びを思い返しています。

“あの人は病んでいた。けれど怯えてはいなかった。キャモランの簒奪者が死んだのなら、やって来るという「彼」とは、いったい誰なのか?”
(She was sick, but not afraid. Who was this “He” who was coming if the Camoran Usurper was dead?)

ジェロス・アルブリー著 『避難民たち』 より

面白いことに、本はこの問いに答えないまま終わります。問いのすぐあとに置かれるのは赤ん坊の名だけで、本は答えを言わずに、名で答えています。

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さらなる解説

解説で書ききれなかった三つの話を、もう少し掘ります。気になるものだけ開いてください。

火の波の戦い ──港町では起きなかったかもしれない戦

簒奪者が敗れた戦には、火の波の戦いという名があります(Battle of Firewaves)。『簒奪者の没落』によれば、これは海岸での戦でした。

ところがこの本は、戦場はドワイネンではなかったかもしれないと書いています。最初の男爵の時代のドワイネンには、港がなかったというのです。領地が広がって港を持ったのは、のちのことでした。それでも戦場がどこであれ、男爵の働きが小さくなるわけではない、と本は続けます。

一方で『避難民たち』のドワイネンには、燃える港がありました。二冊の本は、同じ日の同じ土地を違う形で書いているのです。

『簒奪者の没落』は、勝てたわけも言い切りません。艦隊と同盟のほかに挙げるのは、天候が簒奪者に背いたことだけです。

“たしかに天候は簒奪者に背いた。それだけでも、神の手を持ち出す理由になる”
(Certainly the weather worked against the Usurper, which is reason in itself to attribute divine intervention.)

パロー・イルスル著 『簒奪者の没落』 より

そしてこの本は、詩人ブレロックの言葉で締めくくられます。

“事実を見つけたければ、賢い者はいつも、まず作り話に目を向ける”
(To find the facts, the wisest always look first to the fiction.)

パロー・イルスル著 『簒奪者の没落』 より

『避難民たち』も、作り話の形をした本です。そしてマンカーの生まれを伝える資料は、この作り話のほかにありません。

オスロック男爵 ──死者の城を取り戻した男

簒奪者を止めた領主の一人が、ドワイネンのオスロック男爵です。物語で見たとおり、ドワイネンの民は、この男爵がワイトムア城の死者を討ち払った日を、オスロック祭として祝っています。

けれど『簒奪者の没落』は、この英雄を手放しではたたえません。簒奪者を倒した手柄をどれほど男爵に帰すべきかは議論が分かれる、と書いています。それでも、男爵がいたことだけは疑っていません。

“その言い伝えを信じる者は、今ではもう少ない。だがドワイネンにオスロック男爵がいたことは確かであり、彼はハイロックの、あるいはタムリエルの真の英雄の一人となる定めにあった”
(Few people believe the legend anymore, but there most certainly was a Baron Othrok of Dwynnen who was destined to become one of true heroes of High Rock, if not all Tamriel.)

パロー・イルスル著 『簒奪者の没落』 より

男爵の軍も、ふしぎな軍でした。言い伝えのオスロックは、神々に祝福されて「人と獣の軍」を授かっています。ゲームの外では、Daggerfall の公式攻略本『The Daggerfall Chronicles』が、この男爵の軍にも触れています。簒奪者の軍がおおむね人ならぬものだったのはたしかだが、その宿敵ドワイネンの男爵の軍もそうだった、というのです。

しかもオスロックが死者から取り戻したのは、ワイトムア城でした。『避難民たち』で、港の火に追われた人々が逃げ込んだ城です。

最後の決戦は遊ばれなかった ──簒奪者を生んだ卓上のゲーム

ゲームの外の話ですが、キャモランの簒奪者の物語は、開発者たちが机を囲んで遊んだ卓上のゲームから生まれています。

初期のシリーズを書いたテッド・ピーターソンによれば、Arena から Daggerfall を作っていたころ、開発者たちは卓上 RPG の「ダンジョンズ&ドラゴンズ」を遊んでいました。ゲームマスターのジュリアン・ルフェイが回したキャンペーンが、のちに簒奪者の物語になります。ピーターソンが演じたのは、ドワイネンのオスロック男爵でした。2004年には公式フォーラムでそのことを明かし、何も起きない田舎のわりに、ドワイネンはいくつもの話に顔を出すだろう、とも書いています。

ところが一行は、最後の決戦を遊ばないまま、別のゲームへ移ってしまいます。2019年、ピーターソンはこう振り返っています。

“キャンペーンのほとんどは、簒奪者を止めるために、イリアック湾のほかの領主たちと同盟を組もうとすることに費やした。だが最後の決戦の前でやめて、ヴァンパイア:ザ・マスカレードに切り替えてしまったんだ。わたしは、自分たちが勝ったことにして、そのとおりに歴史を書いた”
(We spent most of the campaign trying to put together an alliance with the other rulers of the Iliac Bay to stop the Usurper, but we stopped before the final battle, switching over to Vampire: The Masquerade. I decided that we had been successful and wrote the history as such.)

テッド・ピーターソンの言葉(2019年) より

『簒奪者の没落』も、ピーターソン本人が書いた本です。2005年のインタビューで、自分の書いた Daggerfall の本の一つに挙げています。そう思って読むと、決戦をめぐるこの一節は、少し違って聞こえます。

“ハイロックの連合軍がキャモランの簒奪者の果てしない軍をどう打ち破ったかは、たしかに、それだけで一冊の長い本に値する。そしておそらく、人々の想像にゆだねておくのがいちばんよいのだろう”
(How the combined forces of High Rock defeated the endless army of the Camoran Usurper is certainly worthy of a lengthy book in itself. And perhaps, it is best left to the public imagination.)

パロー・イルスル著 『簒奪者の没落』 より

本が人々の想像にゆだねた決戦は、机の上でも、一度も遊ばれていないのです。

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名だけが残った

第三紀267年、簒奪者の軍は海と山で敗れ、簒奪者は死にました。同じ日、その女は一人で男の子を産み、子を抱いて姿を消しています。

それから百年のあいだに、帝国は四代の皇帝をかけて簒奪者の残した傷を癒やし、第三紀368年、ユリエル・セプティム七世が玉座に就きました。母子のその後を記した記録はなく、残ったのは「マンカー」という名だけでした。

簒奪者の死から166年が過ぎた第三紀433年、帝都の牢で一人の皇帝が囚人の顔を見つめます。皇帝は、その顔を夢で見たことがありました。

次の章では、その日の帝都の地下へ降ります。皇帝はなぜ死に、なぜオブリビオンの門は開いたのでしょうか?

→ 【TES世界観解説】オブリビオンの動乱と二つの暁 その2|皇帝の死

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PCゲームの攻略と、MODの作成・日本語化、ロア(世界観)の解説を書いています。Morrowind の完全日本語化、TES のロア解説、Baldur's Gate 3 や Fallout: New Vegas(TTW)の日本語化、FF14 の見た目系ツールの解説など。MOD や翻訳ファイルの不具合は、各記事のコメント欄からどうぞ。

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