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【TES世界観解説】トリビュナルとは何者か その5|黄金の世
8/10: 一部修正、より正確な情報に基づく 前回はこちら トリビュナルとは何者か その4|アッシュランダーの伝承とネレヴァルの死 https://nettoge.com/tes-tribunal-pa…
はじめに
その5では、神となった三人が地上でどう生きたのか──三千年あまりにおよぶ黄金の世を辿りました。月を止め、魔神を討ち、世界を造り直す。まぎれもない神の御業。けれどその衣を脱がせてみれば、現れたのは奪った神性を守り抜こうとする、あまりに人間くさい執着でした。
その5で見たのは、三柱が神としてどう生きたのか。その6は、その逆です。神であることを、どうやって失っていったのか。
そしてこの黄昏には、はじめから終わりまで、一人の男の影が差しています。前章の最後、第二紀882年、レッドマウンテンの地の底で目を覚ました男──ダゴス・ウル。かつて心臓から神性を「奪った」者たちが、今度は逆に、その神性を「奪われて」いく。その6で辿るのは、そういう物語です。
第六章: 黄昏の神々 ――玉座に灯が消えるまで
レッドマウンテンの地の底に、ロルカーンの心臓があった。
三柱は毎年、そこへ降りた。カグレナックの道具を用いて、心臓との結びつきを新たにするためである。
民には信仰の巡礼と告げていた。実際には、神性を満たし直すための儀式だった。心臓から力を汲み、また次の一年を神として生きる。
三千年あまり、それが破られたことは一度もなかった。
その心臓にある日、先客が現れた。
地の底の目覚め
第二紀882年、レッドマウンテンの地の底で、一人の男が目を覚ました。
かつて忠臣ヴォリン・ダゴスと呼ばれ、レッドマウンテンで打ち倒され、死んだものと見なされた男である。だが、彼は死にきれてはいなかった。肉体はあの日滅んだものの、心臓に触れてその神性に灼かれた彼は、心臓との繋がりだけを残し、死んだまま夢を見つづける存在になっていた。
そして彼は夢のなかで自分がまだ生きていると夢見て、その夢が彼と七柱の同胞をふたたび目覚めさせた。
その名は、ダゴス・ウルである。
彼は心臓室を占拠すると、自ら編み出した儀式で、我が身と同胞をロルカーンの心臓そのものに縛りつけた。ハートワイト——心臓に結ばれた者たちである。
ここに、三柱との決定的な違いが生まれた。三柱は毎年心臓のもとへ通わねば神でいられなかったが、ダゴス・ウルは心臓そのものと一つになり、もはやどこへも通う必要がなかった。同じ一つの心臓から力を得ながら、その繋がり方はまるで違っていたのである。
断たれた神々
同じ第二紀882年、トリビュナルはいつものように山へ向かった。
灰の斜面を登り、火口へ降り、岩を穿った回廊を抜ける。そのさきに心臓室がある。
三人だけの道だった。その奥で何が行われているかは、民の誰にも明かされたことがない。
だからこの年も、彼らは同じ道を登った。
一方、地の底の男は、自分が目覚めたことを誰にも知らせていなかった。第六家の復活も、心臓室の占拠も、神殿の耳にはひとつも届いていない。彼は隠したまま、待っていた。年に一度、必ずここへ降りてくる三人を。
心臓室の扉が開いた。
そこに、死んだはずの旧友が立っていた。
ダゴス・ウルと、灰の吸血鬼となった七人の同胞が、いっせいに襲いかかった。かつてレッドマウンテンで討ち取ったはずの男たちである。
不意を突かれた神々は、あわやその身を滅ぼされかけた。かろうじて山を逃げ落ち、灰の斜面を転がるように下った。追手はかからなかった。追う必要がなかったからである。
灰の斜面の途中で、彼らは一度だけ山を振り返った。
頂は、いつもと同じに見えた。
三柱は二度と、心臓に触れられなかった。
これが黄昏の始まりだった。
そしてその日から、三柱の神性は満たされることなく、ただ目減りしていくばかりとなった。
倒せない敵
ダゴス・ウルは山の奥から手を伸ばしはじめた。
彼はコープラス病を——身体を不可逆に蝕む病を——ヴァーデンフェルの地に撒き、レッドマウンテンからは血のように赤い瘴気ブライトが吹き出して、風に乗り島を侵していった。
さらに彼は夢を使った。死んだまま夢見る男は、眠る者の夢のなかへ入り込むことができたのである。金の仮面をつけた背の高い影が民の枕辺に立ち、囁いた。
——”トリビュナルはお前を裏切った、お前が裏切った一人こそ、三度忠実だった者だ”
目覚めた者は、その夢を忘れられなかった。やがて彼らは家を捨て、洞窟に籠もる狂信者となり、第六家はこうして密かに民のただなかで蘇っていった。
ダゴス・ウルが夢のなかで語ったのは、解放だった。異国の帝国をモロウウィンドから追い払い、偽りの神々を打ち倒し、ダンマーをただ一人の父のもとに統べる。彼は自らをこの地の新たな父となる者だと信じていた。
だがその手段は、病であり、夢による支配であり、心臓の力を万人に分け与えて我が意のもとに縛ることだった。
かつてドゥーマー全民族を一つの神へ押し上げようとしたカグレナックと、彼はよく似ていた。ダゴス・ウルは自分がかつて討ったはずのその男の企てをなぞりはじめていたのである。
トリビュナルはこれを見過ごさなかった。幾度もレッドマウンテンへ軍を送り、ダゴス・ウルとその同胞を討ち、討ち取ることもあった。だが、そのたびに心臓が彼らを蘇らせた。
倒しても、心臓が戻す——
しかも戦うたびに、トリビュナルは神性を削っていった。
神々はこの男を滅ぼすことはできないと悟った。
そこで彼らは方針を変えた。倒せぬのなら、封じるしかない。度重なる遠征の失敗の末、トリビュナルはレッドマウンテンを丸ごと囲む巨大な魔法の壁を築いた。
ゴーストフェンス——三柱の神力によって維持される、瘴気と怪物を閉じ込めるための結界である。その唯一の門には二つの塔が建てられ、西の塔を黄昏(ダスク)、東の塔を夜明け(ドーン)といった。
黄昏と夜明け。夜と昼の境。それはかつて三柱を呪った女神アズラの領分そのものだった。神々が敵を封じるために建てた門は、はじめからその名を冠していた。
翳る黄金
ゴーストフェンスはダゴス・ウルを封じたが、根本の解決ではなかった。
心臓を断たれた三柱の力は、日ごとに翳(かげ)っていった。しかも彼らはその乏しい神力をゴーストフェンスの維持に絶えず注がねばならない。閉じ込めておくだけで、神性が削られていったのである。
そして、心臓のかたわらでは、逆のことが起きていた。ダゴス・ウルは心臓から直接、絶えず力を引き出し、その力を病と破壊のために振るった。
トリビュナルが山から遠ざけられ、神性を満たせなくなった一方で、ダゴス・ウルは心臓のすぐそばで力を増していった。三柱の力が翳るほどに、彼とその眷属は強くなっていった。
同じ一つの心臓を分け合いながら、一方が枯れ、一方が満ちていく。神々は自分たちが勝てない理由をようやく理解しはじめていた。
黄昏の徴は、空にもあった。ヴィヴェクの都の上空に浮かぶ月、バール・ダウ。ヴィヴェクの神性が押しとどめていたその岩は、民の信仰が尽きれば都へ落ちる。
三つに分かれた
壁は立った。それでも戦いは終わらなかった。三柱はその後も幾度となく山へ攻め入った。心臓室への道を、力ずくで取り返すためである。それはもう巡礼ではなく、戦だった。
そしてある年の遠征で、彼らは決定的なものを失う。
アルマレクシアとソーサ・シルが二体の灰の吸血鬼に襲われ、カグレナックの道具のうち二つ——キーニングとサンダーを奪われたのである。ヴィヴェクが二人を助け出しはしたが、道具は取り返せなかった。
心臓を叩く槌も、力を絞る刃も、敵の手に渡った。
三柱は、それぞれの都へ帰った。
そして二度と、三人で山へ登ることはなかった。
慈悲の母は、そこから変わっていった。
ヴィヴェクは後年、彼女についてこう語っている。
“我々はもう、たがいに連絡を取っていない。彼女は自らの神性を、たいへん真剣に受け取っている。だからその喪失が、重くのしかかっている。彼女は塞ぎ込みがちだ。——私は、彼女が自分と他人を害するのではないかと恐れている”
かつて「愛と慈善の都」と讃えられたモーンホールドで、彼女は宮殿に籠もった。その扉の前には、親衛隊「アルマレクシアの手」が立った。
慈悲の母は、民のあいだを歩くのをやめた。
それでもなお彼女を見ることのできた数少ない者は、そこにいるのは慈悲の女神ではなく、戦の女王のようだったと言い残している。
時の建築家は、もともと人前に出る神ではなかった。だが、この敗北のあとの彼について、ヴィヴェクが言えたのは、これだけである。
“あの敗北以来、彼からの便りはない。もっとも、もともとめったに来なかった。彼は完全に自分のなかに閉じている。心臓なしでは彼の神性も減っていくだろう。——だが、その喪失に彼が気づくかどうかは疑わしい”
神性が減っていることに、おそらく本人は気づかない。同僚の神が、同僚の神を、そう評した。
ソーサ・シルは地の底の都へ姿を消し、そこで別の心臓を造りはじめた。歯車と真鍮でできた、機械の心臓である。
そして、ヴィヴェクだけがヴァーデンフェルに残った。
彼はモロウウィンドでもっとも人前に出る神だった。おのれの名を冠した都には毎日、何百という巡礼と旅人が訪れ、彼はその頂に住んでいた。頭上には、かつて彼が片手で受け止めた月が浮かんでいる。
その神が、宮殿から出てこなくなった。
三人はもう、めったに口をきかなかった。それでも壁だけは、三人でなければ支えられなかった。離れた三つの都で、彼らは同じ一つの結界を支える儀を、黙って続けていた。
主が表に出なくなった神殿では、金の仮面のオーディネーターたちが、次第に手綱を失っていった。神性が翳り、民の信仰が揺らぐなか、彼らは民を守る者というより、異を唱える声を狩る者となっていった。とりわけ神殿が恐れたのは、いつか還るネレヴァルが偽りの神を終わらせるという、あのネレヴァリン預言で、それを語る者を彼らはいっそう厳しく追った。
屈する神々
そして黄昏は外の世界からもやってきた。
第二紀の末、西のタイバー・セプティム——後の初代皇帝が、大陸を統一しつつあった。その帝国は東へ版図を広げ、矛先はモロウウィンドへと向いていった。
かつてのトリビュナルなら、恐れることはなかっただろう。だが、いまは違った。心臓を断たれ、力は目減りし、地の底ではダゴス・ウルが牙を研いでいる。三方に敵を抱えた神々に、帝国と正面から戦う余力はなかったのである。
第二紀896年、ヴィヴェクは交渉を選んだ。モロウウィンドの半自治——他のどの属州にも許されなかった破格の自治権と引き換えに、彼はタイバー・セプティムにヌミディウムを差し出した。かつてカグレナックがドゥーマーのために設計した、あの真鍮の人造神である。
トリビュナルはこの機械神を長らく手もとに置いていた。かつては帝国に貸し与えることを考えることはあっても、動力源であるロルカーンの心臓だけは、決して手放そうとしなかった。それが彼ら自身の神性の源だったからである。だが、いまや心臓はダゴス・ウルの手にあり、守るべき心臓を失った神々には、もはやヌミディウムを抱えておく理由もなかった。
三千年あまり、この地の民は、頭を下げる神を見たことがなかった。
その日、生ける神が人間に頭を下げた。
多くのダンマーが衝撃を受け、そして怒った。
だが神々にはほかに道がなかった。
還らぬ者たち
神々の屈服を黙って見ていられない者たちがいた。
そのなかに、エルル・ダンという男がいた。彼はモロウウィンドが帝国に屈するのを見て、帝国とトリビュナル双方への復讐を誓った。
自らこそ還りしネレヴァルであると名乗ったが、預言を果たすことなく、レッドマウンテンでブライトの怪物と戦って果てた。
エルル・ダンだけではなかった。ネレヴァルの死からの長い歳月、幾人ものダンマーが自らこそネレヴァルの化身であると名乗り出ては、ことごとく倒れていった。ある者は戦の道を選んで斃れ、ある者は仲間を破滅させ、ある者は無知ゆえに死んだ。
たとえば、ホート・レッド。
帝国が来たのちの、国がまだ揺れていた時代である。彼は選ばれていた。徴があり、灰の民の期待があり、還る者はこの男かもしれないと言われていた。
そして彼は、よく考える男だった。
自分が本当にその者なのかを、彼は考えつづけた。考えているあいだに、揺れていた時代のほうが先に終わった。
彼は英雄ではなかった。考える者であって、行う者ではなかったのである。
誰もが、預言を満たしきれぬ致命的な欠けをその身に抱えていた。後の世に、生まれ変わりに失敗した者、失敗した化身(Failed Incarnate)と呼ばれる者たちである。
神殿はこれを喜んだ。 見よ、偽りの化身がまた一人斃れた。ネレヴァルの帰還など、はじめから虚しい迷信にすぎぬのだ、と。
だが、アッシュランダーの読みは、正反対だった。斃れたのはその者が本物ではなかったからにすぎない。本物はまだ現れていないだけなのだ、と。
同じ一つの死の連なりが、片や預言の否定として、片や預言の証しとして読まれた。そして神殿は、化身を名乗る者を追いつづけた。アッシュランダーを、異論派司祭を、預言を語る者すべてを。神性が翳るほどに、その恐れは深くなっていった。
東の海
こうして黄金の世は静かに衰退していった。神性は削られ、落下しかねない月が空に残り、神殿は弾圧に頼り、神々は人間に膝を屈した。それでも民の多くは、頭上のアルムシヴィが神でなくなりつつあることに、まだ気づいていなかった。
宮殿から出ない詩人。地の底へ消えた賢者。都で峻厳になった母。
三柱はまだ、神を演じていた。
けれどこの黄昏をはじめからずっと見ていた者がいた。
アズラである。
三柱を呪い、その黄金の肌を灰へと変え、そしてネレヴァルの帰還を時そのものに刻みつけた女神。夜と昼の境を統べる彼女は、その長い歳月のあいだ、約束を忘れてはいなかった。かつて女神は、夜明けが必ず夜の果てに来るように我は彼を呼び戻す、と言い遺していた。
夜はいまその果てに近づいていた。
第三紀の暮れ、タムリエルの東の海を一隻の帝国の囚人船が渡っていた。船倉にいたのは、帝国都の牢から連れ出され、馬車で、そして船で、東へと運ばれてきた一人の囚人。皇帝ユリエル・セプティム七世の勅命でモロウウィンドへ送られようとしている、名も知れぬ者だった。
その者が何者なのか、誰も知らなかった。囚人自身さえも。
眠るその者の夢のなかに、一つの声が響いた。
“帝都の牢獄から、そなたは連れ出された。はじめは馬車で、そして今は船に乗せられて。東の地、モロウウィンドへ。恐れるな、我はそなたを見守っている。そなたは、選ばれし者なり”
——三千五百年、女神が待ちつづけた約束が、いま夢の底で一人の囚人に告げられた。
“起きろ。着いたぞ。なぜ震えている? 大丈夫か? 起きろ。立て。それでいい。夢を見ていたんだな。名前は?”
解説 ──黄昏の底に流れるもの
ここからは、物語パートの細部を掘り下げていきます。とりわけ、この章のいちばん奥にある一つの問いを──なぜ神々は、あれほどあっけなく黄昏を迎えたのか。その理由を順に解きほぐしていきます。
借り物の神性とは、何だったのか
物語パートで、私はこう書きました。ダゴス・ウルに心臓を断たれ、トリビュナルは力を満たせなくなった、と。神々が衰えた理由は、一見それで説明がつきます。注ぎ足せなくなったから、油の尽きた灯明のように細っていった。
けれど、ここで一度立ち止まってみたいのです。
そもそも神が、なぜ力を「注ぎ足す」必要があるのでしょうか?
考えてみれば、これは奇妙な話です。神話時代の解説で見たとおり、TESの神々(エイドラ)は、自らの力を世界に注ぎ込んで、その骨組みそのものとなりました。彼らの神性は、外のどこかから汲んでくるものではありません。自分の内から湧き、自分の内から与えるものです。それが「神」というものの、そもそもの姿でした。
ところがトリビュナルは、まるで逆でした。彼らの神性は自分の内から湧いたものではなかった。レッドマウンテンの地の底、ロルカーンの心臓という、たった一点の外部の泉から「汲んでくる」ものだったのです。
だから、汲みに行けなくなれば、尽きる。
本物の神は、力の源をおのれの内に持つ。トリビュナルは、力の源をおのれの外に置いていた。
これが「借り物の神性」ということの、本当の意味です。三柱は神の姿をまとい、神の御業をなしましたが、その力の構造は、定命の者の延長でしかありませんでした。彼らははじめから神ではなく、「神の力を借りている定命の者」だったのです。
ダゴス・ウルの襲撃は、その借り物の綱を断ち切りました。けれど──話は、ここで終わりません。
同じ心臓から、なぜ明暗が分かれたのか
物語パートで、もう一つ奇妙なことを書きました。同じ一つの心臓から力を得ていながら、心臓を断たれたトリビュナルは枯れていき、同じく心臓から力を得たダゴス・ウルは、逆に満ちていった──と。
同じ源から力を引いた者どうしで、なぜこれほど明暗が分かれたのでしょうか?
そもそもロルカーンの心臓とは、何だったのでしょうか? 世界(ムンダス)を創るよう神々を唆した罪ゆえに、ロルカーンの体から抉り出され、罰としてこの地に投げ落とされたものでした。いわば「世界を欺いた罪の結晶」です。その力の本質には、初めから拭いがたい穢れが宿っていました。
四章で引いた異論派司祭ギルヴァス・バレロの『カグレナックの道具』には、まだ紹介していない続きがあります。そこにこそ、この章の核心が書かれています。
“カグレナックの道具は呪われている。神の心臓から力を盗むことは、恐ろしい愚行であり、破滅が定められている。トリビュナルは、心臓の力を制御する戦いに、いままさに敗れつつある。彼らは、ダゴス・ウルを狂わせているのと同じ穢れた力によって支えられているのだ。ゆえに彼らは弱っていき、我々をダゴス・ウルから守ることができない”
ギルヴァス・バレロ著 『カグレナックの道具』 より
(Kagrenac’s Tools are cursed. Stealing power from the heart of a god is a terrible folly, and fated to disaster. The Tribunal is losing its battle to control the power of the heart. They are sustained by the same tainted power that drives Dagoth Ur mad. They grow weak, and cannot protect us from Dagoth Ur.)
注目すべきは、「同じ穢れた力によって支えられている(sustained by the same tainted power)」という一行です。トリビュナルもダゴス・ウルも、まったく同じ、心臓の穢れた力で生かされている。両者は敵として憎み合いながら、その神性の根っこは、じつは一本の同じ穢れから伸びていたのです。
もちろんこれは、トリビュナルを神と認めない側の読みです。神殿はこれを断固として否定するでしょう。それでも、この「同じ源」という見立ては、黄昏の非対称を驚くほどよく説明してのけます。
では、同じ穢れた力に触れながら、なぜ一方は狂気とともに満ち、一方は力を失っていったのでしょうか?
まず確かな違いがあります。ダゴス・ウルは、道具なしで心臓から直接力を引き出せる存在になっていました。三柱は、道具を持って心臓のもとへ通わねばなりませんでした。
けれど『カグレナックの道具』は、もう一つの違いにも触れています。ダゴス・ウルは慎重さも節制もなく心臓を使い、強大になると同時に狂っていった。トリビュナルは力を抑え、制御しながら使ったため、すぐには狂わず、多くの善き行いをなした。それでも、同じ穢れた力によって、彼らもまた少しずつ腐敗していった。
ここで、章の時計が狂いはじめます。
私は物語パートで、心臓を断たれた第二紀882年を「黄昏の始まり」と書きました。けれどバレロの見立てが正しければ、三柱は善く在ろうとするたびに、心臓の本性に逆らって神性をすり減らしていたことになります。ということは──
彼らはダゴス・ウルに心臓を断たれるよりはるか前から、すでに衰えはじめていたのではないか?
そしてこれは、ただの解釈にとどまりません。異論派の文書『真実の歩み』は、神殿が「近年、トリビュナルの魔力が劇的に衰えつつあること」を民に隠していたと、はっきり書き残しています。
神々自身が、自らの黄昏に気づいていた。気づいていて、それを民の目から覆い隠していたのです。
だとすれば、ダゴス・ウルが果たした役割も、見え方が変わってきます。彼は、健やかな神々をいきなり衰弱させたのではありません。すでに静かに始まっていた黄昏に対して、「もう汲ませない」という止めの一撃を加えたにすぎない。緩慢な黄昏が、彼の襲撃によって、後戻りのできない黄昏へと変わった──ダゴス・ウルがしたのは、そういうことでした。
ただし、善行そのものが神性を削るという法則まで、原典が明言しているわけではありません。確認できる直接の原因は、心臓から力を引きつづけられた者と、その道を断たれた者の差です。それでもバレロは、この構図を書き記したあと、静かにこう問いかけます。
“だが、たとえ彼らが我々を守れたとして──こんな神々を崇めることが、はたして賢明だろうか”
ギルヴァス・バレロ著 『カグレナックの道具』 より
(But even if they could, would we be wise to worship gods such as these?)
盗んだ神性で、盗んだことを恥じて真実を隠し、その隠蔽のために異を唱える者を狩る。そんな神々を。バレロの問いは、この章で見てきた神殿の弾圧の姿を、ちょうど裏側から照らし出しています。
壁は、何で出来ていたのか ──封じの代償
物語パートで、トリビュナルはダゴス・ウルを封じるためにゴーストフェンスを築いた、と書きました。レッドマウンテンを丸ごと囲む、途方もない結界です。三柱の神力によって維持される壁──物語のなかでは、そう説明しました。
けれど、じつはあの壁は、三柱の神力だけで立っていたのではありません。
前の節で見たとおり、この時期の三柱の神性は、すでに目減りしはじめていました。
事実、トリビュナルの神力だけではレッドマウンテンに満ちるブライトを完全には抑えきれませんでした。
だから壁には、継ぎ足しの燃料が要りました。
神が敵を封じるのに、自分の力だけでは足りず、外から燃料をかき集めねばならない。その一事だけでも、彼らの神性がどれほど痩せ細っていたかが分かります。では、何を燃料にしたのか。
二つありました。そのどちらもが、この物語のいちばん苦い皮肉を抱えています。
一つ目の燃料 ──祖先の骨
ゴーストフェンスの柱は、トリビュナルの聖なる力とともに、死者の魂を変換して、壁の力へと変えていました。書物『祖先とダンマー』は、その仕組みをこう伝えています。
“壁に組み込まれる遺骨が多いほど、フェンスは強くなった。とりわけ、生前に力ある者であった者の遺骨ほど、その効果は大きかった”
『祖先とダンマー』 より
(The more remains were added the more powerful the fence became and especially so with the remains of mortals who were more powerful in life.)
では、その骨はどこから来たのか?
当初は、神殿や氏族のために、自ら魂を捧げた英雄たちの骨が用いられました。やがて神殿は、私的な埋葬や氏族ごとの弔いについて、ある方針を打ち出しました。
個人や氏族で祖先を弔うことは、「利己的」である──
神殿は私的な埋葬や氏族ごとの弔いを身勝手なおこないとみなしました。こうした弔いは次第に廃れ、ダンマーの祖先の遺骨の大半は、家族の墓所ではなく、大ゴーストフェンスへと集められ、壁の力へと変えられました。
ここにこの物語でも指折りの暗い皮肉が横たわっています。
ところで、祖先の骨を誰よりも大切に守ってきたのは、どの民だったでしょうか? トリビュナルを神と認めず、灰の荒野へ退いた人々です。アッシュランダー──祖先を敬う古い信仰を、誰よりも純粋に守り継いだ民です。祖先の霊を崇め、その骨を大切に弔うこと。それこそがヴェロスの時代から続く、ダンマーの魂のかたちでした。神殿はその祖先崇拝の守り手たちを、三千五百年にわたって迫害しつづけた。
その同じ神殿が、私的な弔いを利己的とみなし、祖先の骨を大ゴーストフェンスへ組み込んでいったのです。祖先の霊を敬う者を弾圧しながら、その遺骨を壁の力へ変える。神殿が民に求めた犠牲のなかでも、これは重いものでした。
これは、どこかで見た動きではないでしょうか? 第五章の「先触れ」の教義です。神殿は、民が古くから崇めてきた善きデイドラを、三柱の到来を告げる前身へと格下げしました。古い神々を三柱の影に置き、祖先の骨を壁に変える。民の心を三柱へ集める同じ動きの、これは物質のほうの半分でした。
二つ目の燃料 ──民の信仰
壁を支えたもう一つの燃料は、もっと目に見えないものでした。民の信仰です。
これは私の推測ではありません。ヴィヴェク自身が、後にネレヴァリンを前にして、はっきりと口にしています。神殿がなぜ、異論派の隠された文書(アポグラファ)をあれほど厳しく弾圧したのか──その理由を問われて、彼はこう答えました。
“あの文書は、真実と虚偽と憶測の、不幸な入り混じりだった。信徒たちがそれに触れて混乱するのを、私は放っておくわけにいかなかった。いかなる疑いも、彼らの信仰を弱める。そして我々は、ゴーストフェンスを維持するために、その信仰の力を必要としていたのだ”
ヴィヴェクのゲーム内対話 より
(Any doubt whatsoever weakened their faith, and we needed their faith to give us the power to maintain the Ghostfence.)
この一言で、物語パートで見た神殿の弾圧に、ぞっとするような裏の理由が与えられます。
神殿が異論派の司祭を狩り、ネレヴァリン預言を語る者を追い、真実を口にする者を執拗に迫害したのは──ただの保身ではありませんでした。民の信仰そのものが、壁を支える動力だったからです。誰か一人が「あの神々は偽物ではないか」と疑えば、そのぶん壁が弱まる。疑いが広がれば、壁が崩れ、ブライトが溢れ出す。だから神殿は、真実を語る口を片端から塞がねばならなかった。
壁を保つために、民を欺きつづけねばならない。真実は壁を崩す毒だった。
神が民を守るのではありません。民の信仰が、神を、そして壁を、かろうじて支えていた。そしてその信仰を保つために、神は民に真実を隠しつづけた。守る者と守られる者の関係が、そっくり反転しているのです。
天の月と、地の壁
この「信仰が支える壁」という構図には、見覚えがあるはずです。
第五章で書いた、あの浮かぶ月バール・ダウです。あの岩を押しとどめていたのは、つまるところ民の愛と信仰でした。民の心が離れれば、月は落ちる。
いま見てきたゴーストフェンスも、まったく同じ構造でした。民の信仰が尽きれば、壁は崩れる。
つまりヴィヴェクは、天には月を、地には壁を、どちらも「民の心」という同じ一本の糸で吊るしていたのです。頭上には落ちてこない月、地平には溢れてこない災い。その二つの奇跡は、神の力で保たれているように見えて、その実、民が神を信じつづけるかぎりにおいてのみ、かろうじて宙に留まっていた。信仰が断たれた瞬間、月は落ち、壁は崩れる。黄昏の神々は、そういう危うい均衡の上に、なお神を演じつづけていたのです。
祖先の骨を集め、民の信仰を燃料にし、真実を隠して。そうまでして築いたゴーストフェンス。その門に立つ二つの塔に、神々は黄昏(ダスク)と夜明け(ドーン)の名を与えました。物語パートでも触れたとおり、それは夜と昼の境──かつて三柱を呪った女神アズラの、領分そのものの名です。
これを女神の意図と読むべきかどうかは、分かりません(※以下は私の推測です)。塔の名が方角に由来するというだけの、ただの偶然かもしれない。けれど──第四章で見たとおり、二つの食い違う物語が、たった一点だけ揃って認めたのは、アズラの呪いでした。その女神の領分の名を冠した門の内側で、神々はいま、祖先の骨と民の信仰を食いつぶしながら、緩慢な黄昏を生きている。
災いを封じたはずの門は、はじめから彼らを裁く女神の名に見下ろされていたのです。
屈服とは、何だったのか ──エルル・ダンの二重の裏切り
物語パートで、第二紀896年、ヴィヴェクがタイバー・セプティムと結んだ休戦条約アーミスティスに触れました。半自治と引き換えに、モロウウィンドが帝国に組み込まれた、あの条約です。
その十四年前、ヴィヴェクは心臓への道を断たれています。これがどれほど判断に影響したかは記録されていません。ただ、内ではダゴス・ウルが力を増し、外では帝国の軍団が国境へ迫り、大名家は抗戦と講和と中立に割れていました。ヴィヴェクが戦争より交渉を選んだ背景には、この内と外の二重の危機があったと考えられます。
そして条約によって、モロウウィンドは破格の自治を勝ち取りました。ほかのどの属州にも許されない、自前の法と慣習。神殿への不干渉。そして、帝国全土で禁じられた奴隷制すら、モロウウィンドでのみ合法として保護されたのです。ヴァーデンフェル島は、神殿の聖域として、外来者の立ち入りを厳しく制限されました。
条文だけを見れば、これは負け方としては上等な部類です。
では、屈服とは、誰にとっての、何だったのでしょうか?
ここで、物語パートで名前を出した男に戻ります。エルル・ダンです。彼は屈服の日を実際に生きた人間で、のちに自らこそ還りしネレヴァルであると名乗り、レッドマウンテンで果てました。その彼が、自分の生涯をこう要約しています。
“私はモロウウィンドが帝国に落ちるのを見た。降伏の屈辱を生き、その裏切りゆえに、帝国とトリビュナルの双方に、憎しみと復讐を誓った。後年、私は絶望し、レッドマウンテンへ向かった。そこで年老い、ブライトと山の怪物と戦って死んだ”
エルル・ダンの言葉 より
(I saw Morrowind fall to the Empire. I lived through the humiliation of the surrender, swore hatred and vengeance against Imperial and Tribunal alike for their betrayals. In later years, I despaired, and turned to Red Mountain, where I grew old and died fighting the blight and Red Mountain monsters.)
読み落としてはならないのは、「双方に」(Imperial and Tribunal alike)という一語です。
侵略された者が侵略者を憎むのは分かります。けれど彼は、自分の神を同じ列に並べました。しかも理由まで同じ「彼らの裏切り」(their betrayals)です。外から攻めてきた帝国と、内から守るはずだった神々とを、一人のダンマーが同じ一語で括った。
その日、民の一部は神を失いました。神が死んだからではありません。神が、頭を下げたからです。
同じ怒りは、宮廷そのものも割りました。条約を拒んだ大評議会の議長──敬虔なインドリル家の当主は、これに従うことを断固として拒み、そして暗殺されます。後釜に座ったのは、帝国と現実的に付き合う道を選んだフラール家でした。フラール家はこの機に乗じて、インドリル家への積年の遺恨を晴らし、各地の評議会が血のクーデターで次々と塗り替えられていったのです。
民の側にはエルル・ダンのような者が生まれ、宮廷の側では議長が殺された。アーミスティスが実際に生んだのは、帝国との平和と、ダンマー同士の亀裂でした。
なぜ、夢だったのか ──シャーマットという手口
第四章で、私たちはダゴス・ウルという男を「忠臣か、狂人か」という問いのもとに眺めました。彼は誓いに殉じた忠臣だったのか、それとも心臓に魅入られた裏切り者だったのか──二つの物語のあいだで、その像はついに一つに結びませんでした。
この節では、少し違う角度から彼を見ます。忠臣か狂人かという善悪の問いではなく、こう訊いてみたいのです。地の底で目覚めたあの男は、そもそも何に成ってしまったのでしょうか?
ヴィヴェクはその聖典『三十六の教訓』のなかで、ダゴス・ウルに一つの名を与えています。
シャーマット(Sharmat)──偽りの夢見人。
耳慣れない言葉です。けれどこの一語のなかに、黄昏の時代のダゴス・ウルの正体が、驚くほど正確に畳み込まれています。
死んだまま、夢を見る者
物語パートで、私はダゴス・ウルを「死んだまま夢を見つづける存在」と書きました。これは比喩ではありません。彼の存在のかたちを、そのまま言い当てた言葉です。
アッシュランダーの賢女ニバニ・マエサは、ダゴス・ウルという存在を、こう言い表しました。物語のなかでも、とりわけ鋭く彼の本質を突いた一節です。
“ダゴス・ウル自身が、狂っている。彼は死んでいる、だが、生きていると夢見ている。彼は笑い声と愛を聞いている、だが、生み出すのは怪物と屍鬼だ。彼は恋人のように口説く、だが、その身から漂うのは恐怖と嫌悪だ”
アッシュランダーの賢女 ニバニ・マエサの言葉 より
(Dagoth Ur himself is mad. He is dead, but he dreams he lives. He hears laughter and love, but he makes monsters and ghouls. He woos as a lover, but he reeks with fear and disgust.)
ここに描かれているのは、知覚と現実が根本から食い違ってしまった存在です。
ダゴス・ウルは自分が愛を注いでいると思っている。だが、生み出しているのは病と怪物です。彼は自分の眷属を、変わり果てた狂信者や奇形の奴隷とは見ていません。彼にとって彼らは、なつかしい我が家門の一員なのです。眠る者の夢のなかへ入り込んだとき、彼は死者たちに、まるで生きているかのように語りかけ、笑い、戯れる。返事は返ってこないのに。
彼が民に送りつけた夢の一つは、こう記録されています。
“金の仮面をつけた背の高い影が、夢見る者を死者たちのあいだへ、まるで婚礼の宴のように導いていく。多くの声が聞こえるのに、誰の唇も動かない。息をしようとしても、胸は動かない──”
それがダゴス・ウルの見ている世界でした。彼の夢のなかでは、それは温かな祝宴です。けれど夢の外から見れば、それは死者の行列にほかならない。彼が愛と呼ぶものは病であり、彼が宴と呼ぶものは葬列でした。本人だけが、それに気づいていない。死んだまま、生きていると夢見て、その夢を現実に垂れ流している──それが「偽りの夢見人」ということの、いちばん底の意味です。
善意の罪
ここで、恐ろしいことに気づきます。ダゴス・ウルは、自分では善をなしているつもりだったのです。
彼が撒いたコープラス病を、彼とその眷属は「呪い」ではなく「贈り物」と呼びました。ダンマーの身体が病に爛れ、崩れていくことを、彼は災いとは見ていません。アズラの呪いによって着せられた「呪われた皮」を、ようやく脱ぎ捨てられるのだと、本気でそう信じていたのです。彼にとって病を撒くことは、民を呪いから解き放つ、慈悲の行いでした。
のちにネレヴァリンと対峙したとき、ダゴス・ウルは、自らの罪をどう正当化するのかと問われて、こう答えています。
“もしお前が我が罪と呼ぶのが、戦がもたらす避けがたい苦しみと破壊のことなら、私は喜んで指導者の重荷を引き受けよう。第六家は、戦なくして復興できぬ。伝統に縛られ、自足しきった群れをかき乱す危険なくして、啓蒙は育たぬ。帝国の雑種の軍勢は、流血なくしてモロウウィンドから追い払えぬ。慈悲と憐れみを持つ者として、私は嘆く。だが──我らの使命は、正しく、高貴なのだ”
ダゴス・ウルのゲーム内対話 より
(If, by my crimes, you mean the inevitable suffering and destruction caused by war, then I accept the burden of leadership. The Sixth House cannot be restored without war. Enlightenment cannot grow without the risk of upsetting the tradition-bound and complacent herd. And the mongrel armies of the Empire cannot be expelled from Morrowind without bloodshed. As I have charity and compassion, I grieve. But our mission is just and noble.)
これは、冷血な悪党の言葉ではありません。大義を信じ、そのための犠牲を引き受け、それでもなお心を痛めている者の言葉です。彼は自分を、慈悲深い解放者だと思っている。流血を嘆きながら、それを高貴な使命の代償として受け入れている。
ヴィヴェクは第十五説話のなかで、ネレヴァルにこう警告していました。
“汝の最大の敵はシャーマット、偽りの夢見人なり。(中略)善意の罪を警戒せよ。その者を、その言葉によって見抜け”
ヴィヴェク著 『三十六の教訓』第十五説話 より
(His greatest enemy is the Sharmat, who is the false dreamer. […] Beware the crime of benevolence. Behold him by his words.)
「善意の罪を警戒せよ(Beware the crime of benevolence)」──この一句が、シャーマットの本質を突いています。ダゴス・ウルの恐ろしさは、悪意ではなく、ねじれた善意にある。彼は憎しみからではなく、愛から病を撒く。だからこそ止まらないし、だからこそ手に負えない。
そして──この「善意が罪になる」という主題を、私たちはこの章ですでに一度見ています。前の節で見たトリビュナルです。彼らは善き行いをなすほど、心臓の本性に逆らって神性をすり減らしていった。善が、破滅を呼んだ。ダゴス・ウルもまた、善のつもりで、病と死を撒いている。
善き神は、善きがゆえに衰えた。
偽りの夢見人は、善のつもりで災いを撒いた。
この黄昏の時代には、善が善として実を結ぶ道が、どこにも残されていなかったのです。
愛で縛る者
ダゴス・ウルのもう一つの際立った特徴は、彼が敵を、憎しみではなく友愛で搦めとろうとすることです。
ネレヴァリンと相まみえたとき、彼はいきなり斬りかかりはしませんでした。まず、こう語りかけたのです。幾度も、この場所をお前と分かち合おうと考えた。ふたたび友に、戦友に、兄弟に戻れるのではないか、と。戦いにあたっても、彼は家門の礼節を守り、「最初の一撃はお前に譲る」と申し出ました。討たれてもなお、心臓室で立ちはだかり、彼はこう囁きます。
“さあ、武器を捨てよ。我が慈悲を受けるに、まだ遅くはない──”
友として誘い、拒めば殺す。しかも礼儀正しく、慈悲を差し出しながら。
それでいて、最後まで口調が変わりません。彼は本気で、これを和解の申し出だと思っているのです。

夢は、中心を断つまで醒めない
物語パートで見たとおり、トリビュナルはダゴス・ウルを幾度も討ち取りました。それでも彼は、そのたびに心臓によって蘇りました。倒しても、倒しても、戻ってくる。
これは、シャーマットが「偽りの夢見人」であることと、深く関わっています。夢を見ている当人を斬っても、夢そのものは終わりません。夢が湧き出す源──ロルカーンの心臓を断たないかぎり、彼はまた目を覚まし、また夢を見はじめる。彼を本当に終わらせる道は、彼を討つことではなく、夢の中心そのものを断つことだけでした。
そして、その「夢の中心を断つ」役目を負う者を、ヴィヴェクは同じ『三十六の教訓』のなかで、シャーマットの対として書き記していました。ホーテイター──還りしネレヴァル、すなわちネレヴァリンです。
第二紀882年に地の底で目を覚ましたのは、かつての忠臣ヴォリン・ダゴスではありませんでした。目を覚ましたのは、死んだまま生を夢見て、愛のつもりで災いを撒き、自らが憎んだものすべてに成り果てていく──ひとりの偽りの夢見人だったのです。
さらなる解説
ここからは、物語の中に出てきた各要素について、より深く解説していきます。
ただし、あまりにも長くなってしまうため、興味があるときに読んでいただければと思います。
機械の心臓 ──永遠の都を動かす、作りかけの心臓
物語パートで見たとおり、ダゴス・ウルに心臓を断たれたことで、トリビュナルは神性を補充する術を失いました。毎年の巡礼で汲みなおしていた、あの源そのものが断たれてしまったのです。
一方、時の建築家ソーサ・シルは、クロックワーク・シティのために別の心臓を構想していました。
彼が構想したのは、途方もないものでした。失われたロルカーンの心臓の、機械じかけの複製。世界を欺いた神の心臓を、歯車と真鍮で作り直そうというのです。後に「新しきロルカーンの心臓」とも呼ばれることになるこの機械の心臓は、彼が地の底に築いた都(その正体は五章で詳しく見たとおりです)を、彼自身が滅びたのちも永遠に動かしつづける動力源として構想されました。
しかし、事はそう簡単には運びません。生まれかけの機械の心臓は、初期の段階で危険なほど不安定に暴れ、都をまるごと吹き飛ばしかねないほどでした。神の心臓を模したものは、模したものであってなお、手に負えない力を孕んでいたのです。
暴れる心臓を鎮めるために、ソーサ・シルが取った手段が、また象徴的でした。彼は、カグレナックの道具の、自分なりの複製を作り上げたのです。心臓を制御し、形を与え、いざとなれば分解さえできる、独自の三つの道具を。かつて神になるために使った道具の仕組みを、こんどは機械の心臓を制御するため、自分の手で作り直したのです。
もっとも、この心臓が第六章の時代に完成することはありませんでした。ソーサ・シルの構想はあまりに壮大で、そして彼には、それを完成させるだけの時間が残されていなかったのです。
はるか後の世、ある事情から自らの終わりが近いことを悟ったとき、彼は最期の力で、機械の建造がひとりでに続くよう仕掛けを施したと伝えられます。そのとき彼が漏らしたという言葉が、いかにも時の建築家らしいものでした。
“私は死ぬ。だが、死とは何だ? 自然の一機能にすぎぬ。作業は始まった。完成までおよそ二百七年かかるだろう──だが、それが何だというのか? 端数の誤差にすぎぬ”
ソーサ・シルの言葉(『The Elder Scrolls: Legends ― Return to Clockwork City』)より
(I die, but what is death? A natural function. […] It will take approximately 207 years, but what is that? A rounding error.)
二百七年を「端数の誤差」と言い切る。この心臓が本当に完成するのは、彼の死からおよそ二百年ののち、着想の時から数えれば六百年以上をかけてのことでした。作り手が世を去って二世紀、無人の都で、機械だけが黙々と、都を動かす心臓を組み上げつづけたのです。
ヌミディウム ──滅びた民の夢が、人間の帝国を建てるまで
物語パートで、ヴィヴェクが半自治と引き換えにヌミディウムをタイバー・セプティムへ差し出した、と書きました。その真鍮の人造神が、そのあとどうなったのかを見ておきます。
ヴィヴェクが差し出したヌミディウムとは、そもそも何だったのでしょうか。大祭司カグレナックが、ロルカーンの心臓を動力源として造り上げようとした、真鍮の人造神です。理性を信奉したドゥーマーが神になろうとして造り、そして種族もろとも消える一因となった、あの機械の神でした。
タイバー・セプティムは、これを起動させ、大陸の統一に用いました。東方の噂によれば、ヴィヴェクは、それがアルトマーの地サマーセットの征服に使われることまで承知のうえだったといいます。事実、真鍮の神はアルドメリ・ドミニオンを終わらせました。
神を信じぬ民が神になろうとして造った機械が、めぐりめぐって、人間の帝王による大陸統一の道具になったのです。滅びたドゥーマーの夢の残骸が、まったく違う手に渡り、まったく違う帝国を打ち立てた。
なお、ダゴス・ウルが心臓のかたわらで組み上げはじめていた機械の神アクラカンも、この真鍮の神の系譜に連なるものでした。カグレナックの設計図は、まだ生きていたのです。
失敗した化身たち ──”その者”ではなかった者たち
物語パートで、還らぬ者たちの一人としてエルル・ダンに触れました。ネレヴァルの帰還を待つあいだ、自らこそネレヴァリンだと信じて立ち上がり、そして倒れていった者たち──失敗した化身(Failed Incarnate)と呼ばれる人々です。
アッシュランダーの預言は、いつの日かネレヴァルが還ると告げていました。けれど「還った」と名乗り出た者が本物かどうかは、すぐには分かりません。灰の民は、月と星の指輪を継ぐにふさわしいかを、いくつもの徴と資質で見定めようとしました。そしてそのたびに、惜しいところで何か一つが欠けていたのです。
神殿は、この連なりを歓迎しました。偽りの化身がまた一人斃れた、ネレヴァルの帰還など迷信にすぎない──そう言えたからです。化身を名乗る者を追い、預言を語る者を捕らえる。神性が翳るほどに、その手は厳しくなっていきました。
倒れた者たちの魂は、女神アズラの像が見下ろす化身の洞に集められ、本物の到来を静かに待ちつづけました。
ここでは、本編で名前を出さなかった一人に触れておきます。ピークスターです。幼いころにアルド・レダイニア近くの海岸へ流れ着き、ウルシラク族に育てられた娘で、素性の分からないその少女をネレヴァリンではないかと考える者もいました。
やがて彼女は行方不明となり、神殿は捜索の末に死亡を発表します。ところが、遺体は示されませんでした。そのためアッシュランダーのあいだでは、生存説が長く残ります。
化身の候補について神殿が語ることを、そのまま信じるわけにはいかない。この一件は、そのことを民の側から示す例でもありました。
なお『The Elder Scrolls Online』にも、別の失敗した化身が登場します。ダナートは、賢者たちの助言を退けたことで自分の部族を破滅させた男です。
“ネレヴァリンは、宣言するだけでなく、耳を傾けねばならない。知恵があっても、耳を貸さなければ無知と変わらない”
ダナートの言葉(『The Elder Scrolls Online』)より
(The Nerevarine must listen as well as proclaim. […] Wisdom ignored is ignorance.)
彼らが何を欠いていたのかは、第七章で、本人たちの口から一人ずつ聞くことになります。
コープラス病 ──呪いか、贈り物か
物語パートで、ダゴス・ウルが病を撒き、それを「贈り物」と信じていたことに触れました。その病について、もう少し詳しく見ておきます。
まず、二つの言葉を区別しておきましょう。ブライト(Blight)とコープラス(Corprus)です。
ブライトは、レッドマウンテンから吹きつける灰嵐(アッシュストーム)に乗って広がる、病の総称です。ダゴス・ウルが生み出し、風に乗せて撒き散らした災いでした。本編で見たゴーストフェンスは、まさにこのブライトを山の内に封じ込めるための壁だったのです。壁が弱まるにつれ、ブライトは外へと漏れ出していきました。
そのブライトのなかでも、最も恐ろしいものがコープラスでした。身体を腫瘍で醜く変形させ、心を蝕んでいく病。そして何より、コープラスには通常の治療が通じませんでした。
その正体について、コープラスに詳しい魔術師ディヴァイス・ファーは、一つの見立てを示しています。
コープラスは、神による呪いか、祝福か──あるいは、その両方なのかもしれない。
ファーの実験薬も、それまでの被験者を全員死亡させていました。主人公だけは薬に耐え、肉体の変形と精神への侵食を取り除かれます。ただし、コープラスそのものは体内に残りました。
ダゴス・ウルとその眷属である第六家は、この病を「呪い」とは呼びませんでした。彼らはこれを「神性の病」と呼びました。「偽りの夢見人」の節で見たとおり、彼らにとって病とは、ダンマーという種族の進化であり、統一と不死をもたらし、外の世界──とりわけ帝国──の影響から民を守る、聖なる恩寵だったのです。
そして、眠れる者や夢見る者よりもさらに深く第六家の秘儀へ分け入った者を、彼らは「彼の肉の子ら」と呼びました。ダゴス・ウルに仕える者の一人、ダゴス・ガレスは、その者たちをこう讃えています。
“眠れる者と夢見る者は、主のもとに来たばかりで、いまだ主の力を賜ってはいない。だが、彼の肉の子らは、主の神秘の奥深くにある。彼らの身体は、主の栄光を容れて膨れ上がり、我らの主の饗宴の、豊かな聖餐を実らせるのだ”
ダゴス・ガレスの言葉 より
(Their bodies swell to contain his glory, and to yield the rich sacraments of our Lord’s feasts.)
腫瘍に膨れ上がる肉体を、「主の栄光を容れて膨れる」と讃える。醜い病を、聖なる饗宴と呼ぶ。これこそ、先に見た「偽りの夢見人」の知覚そのものです。彼らの目には、腐り崩れていく身体が、神の恩寵に輝いて見えている。呪いを、贈り物と呼び替える。いや、彼らにとってそれは言い換えですらありませんでした。本当に、そう見えていたのです。
黄昏の、その果てへ
物語のなかで、私は一度だけ、神々の側に立って書きました。
だが神々にはほかに道がなかった。
そのとおりです。心臓を断たれ、内では病が広がり、外では帝国の軍団が国境に並んでいた。あの局面で膝を折らずに済む道は、たぶんありませんでした。
けれど、この章をひととおり見てくると、その「ほかに道がなかった」が、もっとずっと前から始まっていたことが分かります。
心臓に力を頼ると決めたときから、彼らには汲みに行く以外の道がなかった。壁を民の信仰で支えると決めたときから、民を欺きつづける以外の道がなかった。祖先の骨を燃料にすると決めたときから、祖先を敬う者を黙らせる以外の道がなかった。
「ほかに道がない」は、黄昏に降ってきた事情ではありません。三柱が、自分で掘った地形です。
そのことに気づいていた形跡を、一人だけが残しています。すべてが終わったのち、ヴィヴェクはこう漏らしました。
“いま振り返れば──我々は、最も必要としていた者たちの信仰を失い、従順で無関心な者たちの信仰ばかりを守ってしまったのかもしれない。過ちだったのか。それすらも、もう誰にも言えぬ”
ヴィヴェクのゲーム内対話 より
(In retrospect, perhaps we lost the faith of those we most needed while preserving the faith of the meek and indifferent. Perhaps a mistake was made. Who can say?)
真実を語る者を狩り、従順な信仰だけを残した。壁は保たれました。けれどそうやって守り抜いた信仰は、いちばん深く神を必要とした者たちの心ではなく、ただ疑うことをやめた者たちの、うつろな従順さだったのかもしれない──詩人は、そう静かに悔いています。
宮殿から出ない詩人。地の底へ消えた賢者。都で峻厳になった母。
三柱は、まだ玉座にいます。灯はもう、ほとんど残っていません。
→ 【TES世界観解説】トリビュナルとは何者か その7|還りし者、ネレヴァリン(執筆中)
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