キャモランの簒奪者が倒れた日、ドワイネンの地下室に逃げ込んだ難民たちの一夜を書いた物語です。深遠の暁の長マンカー・キャモランの生まれを伝えます。
『避難民たち』(The Refugees)
本
『避難民たち』の詳しい説明
ジェロス・アルブリーの作です。第三紀 267 年、ドワイネンの娼館の地下室に、五十人を超える傷ついた者と難民が身をひそめていました。レッドガードの少年ルーカーの目で、外の戦と地下室の人々を描いています。
あらすじ
傷を負ったボズマーの斥候オーベンが地下室に逃げ込み、簒奪者の正体を語っています。簒奪者はもとはキャモラン・カルトスの魔術師で、オーベンはカルトスの斥候頭でした。寝台では、かつて簒奪者のお気に入りだったカアリスが、熱にうなされて「マンカーが来る」と叫び続けます。
結末
港が燃えた夜、カアリスは子を産み、子を連れて姿を消しました。治療師が覚えていたのは、子の名がマンカー・キャモランだということだけでした。
この本の謎
本は子の父を一度も名指ししていません。マンカーが簒奪者の子だというのは、カアリスが簒奪者の女だったことからの推測です。
『避難民たち』の全訳
入り江の匂いが、地下室の石のすき間から染み込んできた。塩と、潮に漬かって腐った物の匂いだ。地下室そのものにも、酢に変わった古いワインやかびの匂いと、けが人の手当てに治療師たちが持ち込んだ薬草の、もっと珍しい香りがこもっていた。上の娼館が物置にしたまま忘れていた土の大部屋に、五十人を超える人が押し込められていた。うめき声もすすり泣きも今はやみ、あたりは静まり返って、まるで救護所が大きな墓穴に変わったかのようだった。
「母さん」とレッドガードの少年がささやいた。「今のは何?」
母親が答えようとしたとき、外からまた低いとどろきが転がってきた。とどろきはだんだん大きくなり、巨大な、けれど体の無い獣が地下室に入り込んできたかのようだった。壁が震え、天井からほこりが粉の雨のように降った。
前の時と違って、今度は誰も叫ばなかった。人々は、その奇妙な、耳に残る音が通り過ぎ、遠い戦の低い響きに変わるまで、じっと待った。
けがをした兵士が、『滅びゆく者のためのマーラの祈り』を小声で唱え始めた。
「マンカー」と、寝台に丸まったボズマーの女が息を荒げた。目は熱にうかされ、肌は白く、汗にぬれていた。「あれが来る!」
「誰が来るの?」と少年が尋ね、母親のスカートをぎゅっとつかんだ。
「誰だと思う、坊主? 菓子売りか?」と、白髪まじりの片腕のレッドガードがうなった。「キャモランの簒奪者だよ」
少年の母親は、年寄りの戦士をにらみつけた。「この人は自分が何を言っているのか分かっていないの。病気なのよ」
少年はうなずいた。母親の言うことは、たいてい正しかった。キャモランの簒奪者が母の小さな村へ近づいていると人々がささやき始めたとき、少年はまだ生まれてもいなかった。母は荷物をまとめて逃げた。近所の人たちは、リハドとタネスがあっさり打ち負かすさと母を笑ったという。夫も、つまり少年ルーカーが会うことのなかった父も、母を笑った。取り入れの時期で、母は祭りに出られなくなるのだ。けれど母のミアク=アイが正しかった。村を出て二週間後、母は、村が一夜のうちに消し去られ、生き残った者は一人もいないという話を聞いた。リハドもタネスも落ちた。簒奪者は止めようがなかった。
ルーカーは、ハンマーフェルのあちこちの難民の野営地で生まれ育った。何日かより長く続いた友達は一人もいなかった。西の空が赤く燃えれば、荷物をまとめて東へ移る。南の空が燃えれば、北へ移る。野営地から野営地へ十二年移り続けたあと、二人はついにイリアック湾を渡る船に乗り、ハイロックの地方、ドワイネン男爵領へ来た。ここなら落ち着いた、いつまでも住める家が持てるはずだと、ミアク=アイは約束し、そう願っていた。
そこはまぶしいほど緑だった。決まった季節の決まった所にしか緑の無いハンマーフェルと違って、ドワイネンは一年じゅう青々としていた。冬になって雪が降り始めるまでは。ルーカーは初め、雪が怖かった。本当の危険がある今になってそれを思い出すと恥ずかしかったが、戦の赤い雲も、難民の野営地の悪臭と痛みも、彼にはなじみの物だったのだ。
今、赤い空は湾の水平線にあって、近づいてきていた。ルーカーは、白い物がちらつくだけで泣いていたころが恋しかった。
「マンカー!」とボズマーの女がまた叫んだ。「あれが来る。死を連れてくる!」
「誰も来ませんよ」と、若くてきれいなブレトンの治療師が女のそばに来て言った。「さあ、静かに」
「おーい?」と上から声がした。
部屋じゅうの者が、ほとんど一斉に息をのんだ。一人のボズマーが、粗末な木の階段を足を引きずりながら下りてきた。人のよさそうなその顔は、どう見てもキャモランの簒奪者のものではなかった。
「驚かせたなら悪かった」と彼は言った。「ここに治療師がいると聞いてね。少し手当てしてもらえるとありがたい」
ロゼイナが急いで、ボズマーの脚と胸の傷を見に行った。髪は乱れていても美しいままの彼女は、娼館の人気者の一人で、本業の技と一緒に、癒しの技をディベラの館で身につけていた。彼女は手際よく、けれど慎重に、裂けた革の胴鎧、脚当て、草摺、すね当て、長靴を彼から脱がせ、傷を調べるあいだ脇に置いた。
年寄りのレッドガードの戦士がそれを拾い上げて眺めた。「戦に出ていたのか?」
「戦の隣にいた、と言うほうが近いかな」とボズマーは笑い、ロゼイナの手が触れると少し顔をしかめた。「戦の後ろ、横、前にね。わたしはオーベン・エルムロック。斥候だ。本当の戦いは避けて、見た物を持ち帰って伝えるようにしている。自分の血の色があまり好きじゃない者には、いい仕事さ」
「ヒジムだ」と戦士は言い、オーベンと握手した。「わしはもう戦えんが、また戻るなら、この鎧を直してやれる」
「革細工の職人かい?」
「いや、何でも屋さ」とヒジムは答え、硬いがしなやかな革の下ごしらえに、小さな缶の蝋を開けた。「鎧を見て、斥候だとは分かった。何を探っていたか話してくれんか? ここに半日こもっていて、外の知らせが何も無いんだ」
「イリアック湾は、まるごと一つの大きな波の上の戦場だ」とオーベンは言い、ロゼイナの呪文がぎざぎざの、けれど浅い傷をふさぎ始めると、ため息をついた。「湾の口からの侵攻は止めたが、わたしは海岸から来たんだ。敵の軍勢はロスガリアン山脈を越えて進んでいる。わたしがちょっとした小競り合いをしたのはそこだ。表の戦いで手がふさがっているうちに、横から翼を回す。驚くような手じゃない。牡鹿王が借りた、キャモラン・カルトスの手の内そのままだよ」
「牡鹿王?」とルーカーが尋ねた。黙って聞いていて、それ以外は全部分かっていたのだ。
「ヘイモン・キャモラン、キャモランの簒奪者、牡鹿王ヘイモン、みんな同じ男だよ、坊主。込み入った男でね、名前が一つじゃ足りないのさ」
「あの男を知っているの?」とミアク=アイが進み出て尋ねた。
「この黒くて血なまぐさい騒ぎより前に、二十年近くな。わたしはキャモラン・カルトスの斥候頭で、ヘイモンはその魔術師で相談役だった。二人がキャモランの玉座を争ったとき、わたしは二人とも助けて、それから攻め取りを始めたんだ――痛っ!」
ロゼイナが癒しをやめていた。怒りに燃える目で、彼女は呪文を逆に回していた。ふさがって治った傷が、また開き始め、黒い膿みが戻ってきた。オーベンが身を引こうとすると、彼女は驚くほどの力で彼を押さえつけた。
「この人でなし」と、治療師の高級娼婦は息を荒げた。「わたしにはファリネスティにいとこがいるの。巫女よ」
「無事だよ!」とオーベンが悲鳴を上げた。「カルトス様は、刃向かってこない者には手を出すなと、それは厳しく言っていたんだ……」
「クヴァッチの者たちは、その見立てに異を唱えるだろうな」とヒジムが冷ややかに言った。
「あれはひどかった。わたしが見た中でいちばんひどい物だった」とオーベンはうなずいた。「ヘイモンのしたことを見て、カルトスは泣いた。わたしの主人は、牡鹿王にヴァレンウッドへ帰ってくれと頼み、止めるためにできることは全部した。だがあの男はカルトスに牙をむき、わたしたちは逃げた。わたしたちは、あんたたちの敵じゃない。一度も敵だったことはない。簒奪者がコロヴィアの西とハンマーフェルにもたらした恐ろしさを、カルトスは何一つ止められなかった。それでも、これ以上を防ごうと十五年戦ってきたんだ」
あの恐ろしい獣のとどろきが、前よりもっと大きく、また地下室を通り抜けた。けが人たちは、どうしようもない恐ろしさにうめかずにはいられなかった。
「じゃあ、あれは何?」とミアク=アイがあざけった。「簒奪者が覚えた、キャモラン・カルトスの手がもう一つ?」
「実はそのとおり、手なんだ」とオーベンは、きしるような音に負けないよう叫んだ。「人を怖がらせるのに使う幻だ。あの男は、力が昇り調子だった初めのころは脅しの手を使うしかなかったし、力が衰えてきた今は、またそこへ戻るしかない。だからヴァレンウッドを攻め取るのに二年、ハンマーフェルの半分を攻め取るのにさらに十三年もかかったんだ。レッドガードのあんたたちを悪く言うつもりはないが、あの男を食い止めてきたのは、あんたたちの戦の腕だけじゃない。前のようには、あの男の主から支えを得られていないんだ――」
響き渡るとどろきが強まり、それからまた静まった。
「マンカー!」とボズマーの女がうめいた。「あれが来る。何もかも滅ぼす!」
「あの男の主?」とルーカーは尋ねたが、オーベンの目は、血に染まった寝台に丸まったボズマーの女に向いていた。
「あの人は誰だ?」とオーベンはロゼイナに尋ねた。
「難民の一人に決まっているでしょう。あなたとあなたのカルトスが寝返る前の、ヴァレンウッドでのあなたたちの親しみやすい戦争から逃げてきたのよ」と治療師は答えた。「名前はカアリスだったと思う」
「イェフレにかけて」とオーベンは小さくつぶやき、足を引きずって女の寝台へ行って、血と汗で筋になった髪を、その青ざめた顔からぬぐった。「カアリス、オーベンだ。覚えているか? どうやってここへ来た? あいつに何かされたのか?」
「マンカー!」とカアリスがうめいた。
「この人はそれしか言わないの」とロゼイナが言った。
「何のことか分からないな」とオーベンは顔をしかめた。「簒奪者のことじゃない。もっとも、この人はあの男も知っていた。よくね。あの男のお気に入りだったんだ」
「あの男のお気に入りは、あなたも、カルトスも、この人も、みんなあの男に背を向けるみたいね」とミアク=アイが言った。
「だからあの男は倒れるのさ」とヒジムが答えた。
天井の上で鎧の足音が響き、地下室の扉が勢いよく開いた。オスロック男爵の城の衛兵隊長だった。「波止場が燃えている! 生きたければ、ワイトムア城へ逃げ込め!」
「手を貸して!」とロゼイナが呼び返したが、衛兵は守りに要るので、病人を運ぶのに手を貸してはもらえないことは分かっていた。
割ける衛兵十人と、けが人のうちいちばん動ける者たちの手を借りて、地下室は空になった。ドワイネンの通りは煙に包まれ、混乱の中で火が広がり始めていた。沖で撃ちそこなった火の玉がたった一つ波止場に当たっただけだったが、その損害は大きかった。何時間かのち、堅固な城の中庭で、治療師たちは寝台を並べ、罪の無い者たちの苦しみの手当てをまた始めることができた。ロゼイナが最初に見つけたのは、オーベン・エルムロックだった。傷がまた開いていたのに、彼は病人を二人、城まで運ぶのを手伝っていた。
「ごめんなさい」と、彼女は癒しの手を傷に当てながら言った。「かっとなってしまって。自分が治療師だということを忘れていた」
「カアリスはどこだ?」とオーベンは尋ねた。
「ここにいないの?」とロゼイナはあたりを見回した。「逃げたに違いないわ」
「逃げた? けがをしていたんじゃないのか?」
「体にいい状況ではなかったけれど、産んだばかりの母親は、すっかり終わったあとには、驚くようなことをしてのけるものよ」
「身ごもっていたのか?」とオーベンは息をのんだ。
「ええ。結局、それほどの難産ではなかったの。最後に見たときには、男の子を腕に抱いていた。自分で産んだのだと言っていたわ」
「身ごもっていた」とオーベンはまたつぶやいた。「キャモランの簒奪者の情婦が、身ごもっていた」
戦いが終わったという知らせが、たちまち城じゅうに広まった。それどころか、戦争そのものが終わったのだ。ヘイモン・キャモランの軍勢は、海でも山でも打ち負かされた。牡鹿王は死んだ。
ルーカーは城壁の上から、ドワイネンを囲む暗い森を見下ろしていた。カアリスのことは聞いていた。彼は、生まれたばかりの赤ん坊を腕に抱いて荒れ野へ逃げていく、追いつめられた女を思い浮かべた。カアリスには行く所も、守ってくれる者もいないだろう。彼女と赤ん坊は、ミアク=アイとルーカーがそうだったように、難民になるのだ。思い返すと、彼女の言葉がよみがえった。
あれが来る。あれが来る。死を連れてくる。何もかも滅ぼす。
ルーカーは彼女の目を思い出した。病んではいたが、怯えてはいなかった。キャモランの簒奪者が死んだのなら、来るという「あれ」とは誰なのだろう?
「ほかには何も言っていなかったのか?」とオーベンが尋ねた。
「赤ん坊の名前を教えてくれたわ」とロゼイナは答えた。「マンカーよ」










