【TES世界観解説】トリビュナルとは何者か その6|黄昏の神々

当ページのリンクには広告が含まれています。

前回はこちら

トリビュナルとは何者か その5|黄金の世

関連記事 【TES世界観解説】トリビュナルとは何者か その5|黄金の世 8/10: 一部修正、より正確な情報に基づく 前回はこちら トリビュナルとは何者か その4|アッシュランダーの伝承とネレヴァルの死 https://nettoge.com/tes-tribunal-pa…
目次

はじめに

その5では、神となった三人が地上でどう生きたのか──三千年あまりにおよぶ黄金の世を辿りました。月を止め、魔神を討ち、世界を造り直す。まぎれもない神の御業。けれどその衣を脱がせてみれば、現れたのは奪った神性を守り抜こうとする、あまりに人間くさい執着でした。

けれどその神性はそもそも彼ら自身のものではなかった。レッドマウンテンの地の底、ロルカーンの心臓から引き出した、借り物の力にすぎない。そして借り物には、返すときが来ます。あるいは──貸し主が変われば、借り続けることすらできなくなる。

その5で見たのは、三柱がどうやって神になったのか。今回はその逆です。

そしてこの黄昏には、はじめから終わりまで、一人の男の影が差しています。前章の最後、第二紀882年、レッドマウンテンの地の底で目を覚ました男──ダゴス・ウル。かつて心臓から神性を「奪った」者たちが、今度は逆に、その神性を「奪われて」いく。その6で辿るのは、そういう物語です。

よければ、MorrowindのBGMを流しながらお読みください。

BGM BGM 1

0:00 0:00

第六章: 黄昏の神々 ――玉座に灯が消えるまで

トリビュナルは三千年あまり、神であり続けた。

月を止め、魔神を討ち、民を養い、この地に平和をもたらして。誰もがこの黄金の世は永遠に続くと信じていた。

けれど彼らの神性は彼ら自身のものではなかった。

レッドマウンテンの地の底、ロルカーンの心臓から引き出した力である。三柱は毎年、レッドマウンテンの奥へ巡礼し、カグレナックの道具を用いて、心臓との結びつきを新たにしていた。

民には信仰の巡礼と告げていたが、実際には神性を満たし直すための儀式でもあった。心臓から力を汲み、また次の一年を神として生きる。三柱の黄金の世は、その繰り返しによって支えられていた。

彼らの神性はそうやって毎年つなぎとめられていた。

その心臓にある日、先客が現れた。

地の底の目覚め

第二紀882年、レッドマウンテンの地の底で、一人の男が目を覚ました。

かつて忠臣ヴォリン・ダゴスと呼ばれ、レッドマウンテンで打ち倒され、死んだものと見なされた男である。だが、彼は死にきれてはいなかった。肉体はあの日滅んだものの、心臓に触れてその神性に灼かれた彼は、心臓との繋がりだけを残し、死んだまま夢を見つづける存在になっていた。

そして彼は夢のなかで自分がまだ生きていると夢見て、その夢が彼と七柱の同胞をふたたび目覚めさせた。

その名は、ダゴス・ウルである。

彼は心臓室を占拠すると、自ら編み出した儀式で、我が身と同胞をロルカーンの心臓そのものに縛りつけた。ハートライト——心臓に結ばれた者たちである。

ここに、三柱との決定的な違いが生まれた。三柱は毎年心臓のもとへ通わねば神でいられなかったが、ダゴス・ウルは心臓そのものと一つになり、もはやどこへも通う必要がなかった。同じ一つの心臓から力を得ながら、その繋がり方はまるで違っていたのである。

断たれた神々

同じ第二紀882年、トリビュナルはいつものように山へ向かった。年に一度、力を満たすための巡礼であり、三千年あまり変わることなく繰り返してきた儀式のはずだった。

だが、この年、心臓室で彼らを待っていたのは、死んだはずの旧友だった。

ダゴス・ウルと、灰の吸血鬼となった同胞たちが待ち伏せ、トリビュナルに襲いかかった。不意を突かれた神々は、あわやその身を滅ぼされかけながら心臓室から追い払われ、かろうじて逃げ延びたものの、心臓には二度と手が届かなくなった。

これが黄昏の始まりだった。

そしてその日から、三柱の神性は満たされることなく、ただ目減りしていくばかりとなった。

倒せない敵

ダゴス・ウルは山の奥から手を伸ばしはじめた。

彼はコープラス病を——身体を不可逆に蝕む病を——ヴァーデンフェルの地に撒き、レッドマウンテンからは血のように赤い瘴気ブライトが吹き出して、風に乗り島を侵していった。

さらに彼は夢を使った。死んだまま夢見る男は、眠る者の夢のなかへ入り込むことができたのである。金の仮面をつけた背の高い影が民の枕辺に立ち、囁いた。

——”トリビュナルはお前を裏切った、お前が裏切った一人こそ、三度忠実だった者だ”

目覚めた者は、その夢を忘れられなかった。やがて彼らは家を捨て、洞窟に籠もる狂信者となり、第六家はこうして密かに民のただなかで蘇っていった。

ダゴス・ウルが夢のなかで語ったのは、解放だった。異国の帝国をモロウウィンドから追い払い、偽りの神々を打ち倒し、ダンマーをただ一人の父のもとに統べる。彼は自らをこの地の新たな父となる者だと信じていた。

だがその手段は、病であり、夢による支配であり、心臓の力を万人に分け与えて我が意のもとに縛ることだった。

かつてドゥーマー全民族を一つの神へ押し上げようとしたカグレナックと、彼はよく似ていた。ダゴス・ウルは自分がかつて討ったはずのその男の企てをなぞりはじめていたのである。

トリビュナルはこれを見過ごさなかった。幾度もレッドマウンテンへ軍を送り、ダゴス・ウルとその同胞を討ち、討ち取ることもあった。だが、そのたびに心臓が彼らを蘇らせた。

倒しても、心臓が戻す——

しかも戦うたびに、トリビュナルは神性を失っていった。心臓室をめぐる攻防のなかで、彼らはついにカグレナックの道具のうち二つ——キーニングとサンダーをダゴス・ウルに奪われた。心臓を叩く槌も、力を絞る刃も、いまや敵の手にある。

神々はこの男を滅ぼすことはできないと悟った。

そこで彼らは方針を変えた。倒せぬのなら、封じるしかない。度重なる遠征の失敗の末、トリビュナルはレッドマウンテンを丸ごと囲む巨大な魔法の壁を築いた。

ゴーストフェンス——三柱の神力によって維持される、瘴気と怪物を閉じ込めるための結界である。その唯一の門には二つの塔が建てられ、西の塔を黄昏(ダスク)、東の塔を夜明け(ドーン)といった。

黄昏と夜明け。夜と昼の境。それはかつて三柱を呪った女神アズラの領分そのものだった。神々が敵を封じるために建てたその門が、はじめから女神の領分の名を冠していたことに意味を読むべきかどうかは分からない。ただ、そういう符合だけがそこにあった。

翳る黄金

ゴーストフェンスはダゴス・ウルを封じたが、根本の解決ではなかった。

心臓を断たれた三柱の力は、日ごとに翳(かげ)っていった。しかも彼らはその乏しい神力をゴーストフェンスの維持に絶えず注がねばならない。閉じ込めておくだけで、神性が削られていったのである。

そして、心臓のかたわらでは、逆のことが起きていた。ダゴス・ウルは心臓から直接、絶えず力を引き出し、その力を病と破壊のために振るった。

トリビュナルが山から遠ざけられ、神性を満たせなくなった一方で、ダゴス・ウルは心臓のすぐそばで力を増していった。三柱の力が翳るほどに、彼とその眷属は強くなっていった。

同じ一つの心臓を分け合いながら、一方が枯れ、一方が満ちていく。神々は自分たちが勝てない理由をようやく理解しはじめていた。

黄昏の徴は、空にもあった。ヴィヴェクの都の上空に浮かぶ月、バール・ダウ。ヴィヴェクの神性が押しとどめていたその岩は、民の信仰が尽きれば都へ落ちる。かつて片手で天に縫いとめた岩は、いまも信仰の行方を映すように空に留まっていた。

そしてトリビュナルはそれぞれに変わっていった。

慈悲の母アルマレクシアは、長年ダゴス・ウルの脅威に取り憑かれるうちに、峻厳(しゅんげん)な神へと変わっていった。かつて「愛と慈善の都」と讃えられたモーンホールドは、もはやその名にふさわしくなかった。ソーサ・シルは地の底の都へと退き、世から姿を消していった。そして残されたヴィヴェクがただ一人、ゴーストフェンスを支えつづけた。その労はあまりに重く、彼はやがて宮殿から出ることさえできなくなった。

主が動けなくなった神殿では、金の仮面のオーディネーターたちが、次第に手綱を失っていった。神性が翳り、民の信仰が揺らぐなか、彼らは民を守る者というより、異を唱える声を狩る者となっていった。とりわけ神殿が恐れたのは、いつか還るネレヴァルが偽りの神を終わらせるという、あのネレヴァリン預言で、それを語る者を彼らはいっそう厳しく追った。

地の底のソーサ・シルは世を退きながら、ひそかにある物を造りつづけていた。機械の心臓である。それはクロックワーク・シティを自らの死後も永遠に動かすための動力源として構想された。失われた神性を補う試みとも読める。ただし、三柱の神性そのものを補う機能があったかは定かでない。しかも生まれかけの心臓は不安定に暴れ、都を破壊しかねないほどだった。

屈する神々

そして黄昏は外の世界からもやってきた。

第二紀の末、西のタイバー・セプティム——後の初代皇帝が、大陸を統一しつつあった。その帝国は東へ版図を広げ、矛先はモロウウィンドへと向いていった。

かつてのトリビュナルなら、恐れることはなかっただろう。だが、いまは違った。心臓を断たれ、力は目減りし、地の底ではダゴス・ウルが牙を研いでいる。三方に敵を抱えた神々に、帝国と正面から戦う余力はなかったのである。

第二紀896年、ヴィヴェクは交渉を選んだ。モロウウィンドの半自治——他のどの属州にも許されなかった破格の自治権と引き換えに、彼はタイバー・セプティムにヌミディウムを差し出した。かつてカグレナックがドゥーマーのために設計した、あの真鍮の人造神である。

トリビュナルはこの機械神を長らく手もとに置いていた。かつては帝国に貸し与えることを考えることはあっても、動力源であるロルカーンの心臓だけは、決して手放そうとしなかった。それが彼ら自身の神性の源だったからである。だが、いまや心臓はダゴス・ウルの手にあり、守るべき心臓を失った神々には、もはやヌミディウムを抱えておく理由もなかった。

多くのダンマーがこれに衝撃を受け、そして怒った。生ける神が人間の帝国に膝を屈したのである。

だが神々にはほかに道がなかった。

還らぬ者たち

神々の屈服を黙って見ていられない者たちがいた。

そのなかに、エルル・ダンという男がいた。彼はモロウウィンドが帝国に屈するのを見て、帝国とトリビュナル双方への復讐を誓った。

自らこそ還りしネレヴァルであると名乗ったが、預言を果たすことなく、レッドマウンテンでブライトの怪物と戦って果てた。

エルル・ダンだけではなかった。ネレヴァルの死からの長い歳月、幾人ものダンマーが自らこそネレヴァルの化身であると名乗り出ては、ことごとく倒れていった。ある者は戦の道を選んで斃れ、ある者は仲間を破滅させ、ある者は無知ゆえに死んだ。誰もが預言を満たしきれぬ致命的な欠けをその身に抱えていた。後の世に、生まれ変わりに失敗した者、失敗した化身(Failed Incarnate)と呼ばれる者たちである。

神殿はこれを喜んだ。 見よ、偽りの化身がまた一人斃れた。ネレヴァルの帰還など、はじめから虚しい迷信にすぎぬのだ、と。

だが、アッシュランダーの読みは、正反対だった。斃れたのはその者が本物ではなかったからにすぎない。本物はまだ現れていないだけなのだ、と。

同じ一つの死の連なりが、片や預言の否定として、片や預言の証しとして読まれた。そして神殿は、化身を名乗る者を追いつづけた。アッシュランダーを、異論派司祭を、預言を語る者すべてを。神性が翳るほどに、その恐れは深くなっていった。

東の海

こうして黄金の世は静かに衰退していった。神性は削られ、落下しかねない月が空に残り、神殿は弾圧に頼り、神々は人間に膝を屈した。それでも民の多くは、頭上のアルムシヴィが神でなくなりつつあることに、まだ気づいていなかった。三柱は翳りゆく力をやりくりしながら、なお神を演じつづけていた。

けれどこの黄昏をはじめからずっと見ていた者がいた。

アズラである。

三柱を呪い、その黄金の肌を灰へと変え、そしてネレヴァルの帰還を時そのものに刻みつけた女神。夜と昼の境を統べる彼女は、三千五百年のあいだ、その約束を忘れてはいなかった。かつて女神は、夜明けが必ず夜の果てに来るように我は彼を呼び戻す、と言い遺していた。

夜はいまその果てに近づいていた。

第三紀の暮れ、タムリエルの東の海を一隻の帝国の囚人船が渡っていた。船倉にいたのは、帝国都の牢から連れ出され、馬車で、そして船で、東へと運ばれてきた一人の囚人。皇帝ユリエル・セプティム七世の勅命でモロウウィンドへ送られようとしている、名も知れぬ者だった。

その者が何者なのか、誰も知らなかった。囚人自身さえも。

眠るその者の夢のなかに、一つの声が響いた。

“帝都の牢獄から、そなたは連れ出された。はじめは馬車で、そして今は船に乗せられて。東の地、モロウウィンドへ。恐れるな、我はそなたを見守っている。そなたは、選ばれし者なり”

——三千五百年、女神が待ちつづけた約束が、いま夢の底で一人の囚人に告げられた。

“起きろ。着いたぞ。なぜ震えている? 大丈夫か? 起きろ。立て。それでいい。夢を見ていたんだな。名前は?”

スポンサーリンク

解説 ──黄昏の底に流れるもの

ここからは、物語パートの細部を掘り下げていきます。とりわけ、この章のいちばん奥にある一つの問いを──なぜ神々は、あれほどあっけなく黄昏を迎えたのか。その理由を順に解きほぐしていきます。

借り物の神性とは、何だったのか

物語パートで、私はこう書きました。ダゴス・ウルに心臓を断たれ、トリビュナルは力を満たせなくなった、と。神々が衰えた理由は、一見それで説明がつきます。充電できなくなったから、電池が切れるように弱っていった。

けれど、ここで一度立ち止まってみたいのです。

そもそも神が、なぜ「充電」を必要とするのでしょうか。

考えてみれば、これは奇妙な話です。神話時代の解説で見たとおり、TESの神々(エイドラ)は、自らの力を世界に注ぎ込んで、その骨組みそのものとなりました。彼らの神性は、外のどこかから汲んでくるものではありません。自分の内から湧き、自分の内から与えるものです。それが「神」というものの、そもそもの姿でした。

ところがトリビュナルは、まるで逆でした。彼らの神性は自分の内から湧いたものではなかった。レッドマウンテンの地の底、ロルカーンの心臓という、たった一点の外部の泉から「汲んでくる」ものだったのです。

だから、汲みに行けなくなれば、尽きる。

本物の神は、力の源をおのれの内に持つ。トリビュナルは、力の源をおのれの外に置いていた。

これが「借り物の神性」ということの、本当の意味です。三柱は神の姿をまとい、神の御業をなしましたが、その力の構造は、じつのところ定命の者の延長でしかありませんでした。コンセントに挿しているあいだだけ灯る明かりのように、心臓との繋がりを保っているあいだだけ、彼らは神でいられた。繋がりが断たれれば消える──それは、はじめから神ではなく、「神の力を借りている定命の者」にすぎなかったからです。

ダゴス・ウルの襲撃は、その借り物の綱を断ち切りました。けれど──話は、ここで終わりません。

同じ心臓から、なぜ明暗が分かれたのか

物語パートで、もう一つ奇妙なことを書きました。同じ一つの心臓から力を得ていながら、心臓を断たれたトリビュナルは枯れていき、同じく心臓から力を得たダゴス・ウルは、逆に満ちていった──と。

同じ源から力を引いた者どうしで、なぜこれほど明暗が分かれたのでしょうか。

その違いを考えるうえで、まず見なければならないのは、心臓との結びつき方です。

ロルカーンの心臓とは何だったか。神話時代の解説を思い出してください。それは、世界(ムンダス)を創るよう神々を唆した罪ゆえに、ロルカーンの体から抉り出され、罰としてこの地に投げ落とされたものでした。いわば「世界を欺いた罪の結晶」です。その力の本質には、初めから拭いがたい穢れが宿っていました。

四章で、異論派司祭ギルヴァス・バレロの『カグレナックの道具』を引きました。三つの道具の役割を教えてくれた、あの文書です。じつはあの本には、まだ紹介していない続きがあります。そしてそこにこそ、この章の核心が書かれているのです。

“カグレナックの道具は呪われている。神の心臓から力を盗むことは、恐ろしい愚行であり、破滅が定められている。トリビュナルは、心臓の力を制御する戦いに、いままさに敗れつつある。彼らは、ダゴス・ウルを狂わせているのと同じ穢れた力によって支えられているのだ。ゆえに彼らは弱っていき、我々をダゴス・ウルから守ることができない”
(Kagrenac’s Tools are cursed. Stealing power from the heart of a god is a terrible folly, and fated to disaster. The Tribunal is losing its battle to control the power of the heart. They are sustained by the same tainted power that drives Dagoth Ur mad. They grow weak, and cannot protect us from Dagoth Ur.)

ギルヴァス・バレロ著 『カグレナックの道具』 より

注目すべきは、「同じ穢れた力によって支えられている(sustained by the same tainted power)という一行です。トリビュナルもダゴス・ウルも、まったく同じ、心臓の穢れた力で生かされている。両者は敵として憎み合いながら、その神性の根っこは、じつは一本の同じ穢れから伸びていたのです。

異論派司祭たちは、別の文書『真実の歩み』でも、同じ問いを投げかけています。ダゴス・ウルの力とトリビュナルの力は、究極的には同じ源──レッドマウンテンの心臓──から来ているのではないか。もちろんこれは、トリビュナルを神と認めない側の読みです。神殿はこれを断固として否定するでしょう。それでも、この「同じ源」という見立ては、次に見ていく黄昏の非対称を、驚くほどよく説明してのけます。

では、同じ穢れた力に触れながら、なぜ一方は狂気とともに満ち、一方は力を失っていったのでしょうか。

まず確かな違いがあります。ダゴス・ウルは、道具を持たずとも心臓から直接力を引き出せる存在になっていました。トリビュナルは、カグレナックの道具を用いて、定期的に心臓との結びつきを新たにする必要がありました。第二紀882年、その道を塞がれたことで、三柱だけが力を満たせなくなったのです。

けれど『カグレナックの道具』は、もう一つの違いにも触れています。ダゴス・ウルは慎重さも節制もなく心臓を使い、強大になると同時に狂っていった。トリビュナルは力を抑え、制御しながら使ったため、すぐには狂わず、多くの善き行いをなした。それでも、同じ穢れた力によって、彼らもまた少しずつ腐敗していった。

ここから、一つの読みが生まれます。

ダゴス・ウルは心臓の穢れを抑えず、その力と深く一体化していった。トリビュナルは同じ力を制御し、民を守るために使いつづけた。片方は穢れに身を委ね、もう片方は穢れを抑えながら利用しようとした。その違いが、ダゴス・ウルを狂気とともに満たし、三柱を消耗させたとも読めるのです。

ただし、善行そのものが神性を削るという法則まで、原典が明言しているわけではありません。確認できる直接の原因は、心臓から力を引きつづけられたダゴス・ウルと、その道を断たれたトリビュナルの差でした。

神々の黄昏は、いつ始まったのか

ここまで来ると、物語パートで語った「黄昏の始まり」に、もう一つの顔があったことが見えてきます。

私は物語パートで、第二紀882年、ダゴス・ウルに心臓を断たれたその日を「黄昏の始まり」と書きました。分かりやすい区切りとしては、それで正しい。けれどいま見てきた仕組みを踏まえると、もっと深いところに別の始まりが隠れていたことになります。

先ほどのバレロの一文を、もう一度思い出してください。トリビュナルは善き行いによって心臓の本性に逆らい、そのたびに神性をすり減らしていた。ということは──

彼らはダゴス・ウルに心臓を断たれるよりはるか前から、すでに衰えはじめていたのではないか?

心臓の力が三柱を少しずつ腐敗させていたのなら、その黄昏の種は、神となったときから宿っていたともいえます。『カグレナックの道具』も、トリビュナルが心臓の力を制御する戦いに敗れつつあったと記しています。

確実に後戻りのできない黄昏が始まったのは、第二紀882年でした。ダゴス・ウルに心臓への道を塞がれ、三柱は神性を新たにできなくなった。長く抱えていた腐敗と不安が、その日から目に見える衰弱へ変わっていったのです。

そしてこれはただの解釈にとどまりません。異論派の文書『真実の歩み』は、神殿が「近年、トリビュナルの魔力が劇的に衰えつつあること」を民に隠していたと、はっきり書き残しています。神々自身が、自らの黄昏に気づいていた。気づいていて、それを民の目から覆い隠していたのです。

だとすれば、ダゴス・ウルが果たした役割も、見え方が変わってきます。彼は、健やかな神々をいきなり衰弱させたのではありません。すでに静かに始まっていた黄昏に対して、「もう汲ませない」という止めの一撃を加えたにすぎない。緩慢な黄昏が、彼の襲撃によって、後戻りのできない黄昏へと変わった──ダゴス・ウルがしたのは、そういうことでした。

そして、この仕組みの前では、トリビュナルはどう足掻いても勝てませんでした。ダゴス・ウルを討ちに行けば、そのたびに善なる力を振るって神性を削る。討ち取っても心臓が彼を戻す。ゴーストフェンスで封じれば、その維持にまた神性を削られる。トリビュナルは残された神性を使ってダゴス・ウルと戦い、同時にゴーストフェンスを維持しなければなりませんでした。戦うたびに力を使い、守るためにも力を使う。それでも、失ったぶんを心臓から満たすことはできません。

一方、ダゴス・ウルとその眷属は、討たれても心臓によって蘇りました。片方だけが力を満たし、もう片方だけが残された力を使いつづける。心臓への道を奪われた時点で、長い消耗戦の勝敗は、ほとんど決まっていたのです。

バレロは、この救いのない構図を書き記したあと、静かにこう問いかけます。

“だが、たとえ彼らが我々を守れたとして──こんな神々を崇めることが、はたして賢明だろうか”
(But even if they could, would we be wise to worship gods such as these?)

ギルヴァス・バレロ著 『カグレナックの道具』 より

盗んだ神性で、盗んだことを恥じて真実を隠し、その隠蔽のために異を唱える者を狩る。そんな神々を。バレロの問いは、この章で見てきた神殿の弾圧の姿を、ちょうど裏側から照らし出しています。

借り物の神性は、返すときが来る。けれどトリビュナルの場合、それは「貸し主に返す」というより、使えば使うほど自分の手からこぼれ落ちていく、そういう種類の力でした。善く生きればこぼれ、戦えばこぼれ、守ってもこぼれる。黄昏とは、その最後の一滴が乾いていくまでの、長い長い時間の名前でもあります。

封じの代償 ──祖先の骨で築いた壁

物語パートで、トリビュナルはダゴス・ウルを封じるためにゴーストフェンスを築いた、と書きました。レッドマウンテンを丸ごと囲む、途方もない結界です。三柱の神力によって維持される壁──物語のなかでは、そう説明しました。

けれど、じつはあの壁は、三柱の神力だけで立っていたのではありません。

前の節で見たとおり、トリビュナルとダゴス・ウルは、同じ一つの心臓から力を得ていました。同じ源から生まれた力で、同じ源から生まれた災いを封じ込める──これは、はじめから無理のある話でした。片方の水で、同じ井戸から湧いたもう片方の水を堰き止めようとするようなものです。

事実、トリビュナルの神力だけではレッドマウンテンに満ちるブライトを完全には抑えきれませんでした。

だから壁には、継ぎ足しの燃料が要りました。

神が敵を封じるのに、自分の力だけでは足りず、外から燃料をかき集めねばならない。その一事だけでも、彼らの神性がどれほど痩せ細っていたかが分かります。では、何を燃料にしたのか。

二つありました。そのどちらもが、この物語のいちばん苦い皮肉を抱えています。

一つ目の燃料 ──祖先の骨

ゴーストフェンスの柱は、トリビュナルの聖なる力とともに、死者の魂を変換して、壁の力へと変えていました。書物『祖先とダンマー』は、その仕組みをこう伝えています。

“壁に組み込まれる遺骨が多いほど、フェンスは強くなった。とりわけ、生前に力ある者であった者の遺骨ほど、その効果は大きかった”
(The more remains were added the more powerful the fence became and especially so with the remains of mortals who were more powerful in life.)

『祖先とダンマー』 より

では、その骨はどこから来たのか?

当初は、神殿や氏族のために、自ら魂を捧げた英雄たちの骨が用いられました。やがて神殿は、私的な埋葬や氏族ごとの弔いについて、ある方針を打ち出しました。

個人や氏族で祖先を弔うことは、「利己的」である──

神殿は私的な埋葬や氏族ごとの弔いを身勝手なおこないとみなしました。こうした弔いは次第に廃れ、ダンマーの祖先の遺骨の大半は、家族の墓所ではなく、大ゴーストフェンスへと集められ、壁の力へと変えられました。

ここにこの物語でも指折りの暗い皮肉が横たわっています。

第四章を思い出してください。トリビュナルを神と認めず、灰の荒野へ退いた人々がいました。アッシュランダー──祖先を敬う古い信仰を、誰よりも純粋に守り継いだ民です。祖先の霊を崇め、その骨を大切に弔うこと。それこそがヴェロスの時代から続く、ダンマーの魂のかたちでした。神殿はその祖先崇拝の守り手たちを、三千五百年にわたって迫害しつづけた。

その同じ神殿が、私的な弔いを利己的とみなし、祖先の骨を大ゴーストフェンスへ組み込んでいったのです。祖先の霊を敬う者を弾圧しながら、その遺骨を壁の力へ変える。神殿が民に求めた犠牲のなかでも、これは重いものでした。

第五章で見た「先触れ」の教義を覚えているでしょうか。神殿は、民が古くから崇めてきた善きデイドラを、三柱の到来を告げる前身へと格下げし、信仰の体系を作り変えていきました。祖先の骨を壁に集めたことも、民の信仰を三柱へ集める同じ動きの一部だった、という見方はできます。

祖先の骨を壁に変え、古い神々を三柱の影に置く。この二つを重ねるなら、ゴーストフェンスは災いを封じる壁であると同時に、民の心を三柱へ集めた神殿政策の、物質的な象徴とも読めます。

二つ目の燃料 ──民の信仰

壁を支えたもう一つの燃料は、もっと目に見えないものでした。民の信仰です。

これは私の推測ではありません。ヴィヴェク自身が、後にネレヴァリンを前にして、はっきりと口にしています。神殿がなぜ、異論派の隠された文書(アポグラファ)をあれほど厳しく弾圧したのか──その理由を問われて、彼はこう答えました。

“あの文書は、真実と虚偽と憶測の、不幸な入り混じりだった。信徒たちがそれに触れて混乱するのを、私は放っておくわけにいかなかった。いかなる疑いも、彼らの信仰を弱める。そして我々は、ゴーストフェンスを維持するために、その信仰の力を必要としていたのだ”
(Any doubt whatsoever weakened their faith, and we needed their faith to give us the power to maintain the Ghostfence.)

ヴィヴェクのゲーム内対話 より

この一言で、物語パートで見た神殿の弾圧に、ぞっとするような裏の理由が与えられます。

神殿が異論派の司祭を狩り、ネレヴァリン預言を語る者を追い、真実を口にする者を執拗に迫害したのは──ただの保身ではありませんでした。民の信仰そのものが、壁を支える動力だったからです。誰か一人が「あの神々は偽物ではないか」と疑えば、そのぶん壁が弱まる。疑いが広がれば、壁が崩れ、ブライトが溢れ出す。だから神殿は、真実を語る口を片端から塞がねばならなかった。

壁を保つために、民を欺きつづけねばならない。真実は壁を崩す毒だった。

神が民を守るのではありません。民の信仰が、神を、そして壁を、かろうじて支えていた。そしてその信仰を保つために、神は民に真実を隠しつづけた。守る者と守られる者の関係が、そっくり反転しているのです。

天の月と、地の壁

この「信仰が支える壁」という構図には、見覚えがあるはずです。

第五章で書いた、あの浮かぶ月バール・ダウです。ヴィヴェクの都の上空にとどまり、いつ落ちてもおかしくないその岩を、押しとどめていたのはヴィヴェクの神性──そしてつまるところ、それを崇める民の愛と信仰でした。民の心が離れれば、月は落ちる。

いま見てきたゴーストフェンスも、まったく同じ構造でした。民の信仰が尽きれば、壁は崩れる。

つまりヴィヴェクは、天には月を、地には壁を、どちらも「民の心」という同じ一本の糸で吊るしていたのです。頭上には落ちてこない月、地平には溢れてこない災い。その二つの奇跡は、神の力で保たれているように見えて、その実、民が神を信じつづけるかぎりにおいてのみ、かろうじて宙に留まっていた。信仰が断たれた瞬間、月は落ち、壁は崩れる。黄昏の神々は、そういう危うい均衡の上に、なお神を演じつづけていたのです。

ヴィヴェクはすべてが終わったのちに、この信仰の代償について、ぽつりと漏らしています。

“いま振り返れば──我々は、最も必要としていた者たちの信仰を失い、従順で無関心な者たちの信仰ばかりを守ってしまったのかもしれない。過ちだったのか。それすらも、もう誰にも言えぬ”
(In retrospect, perhaps we lost the faith of those we most needed while preserving the faith of the meek and indifferent. Perhaps a mistake was made. Who can say?)

ヴィヴェクのゲーム内対話 より

真実を語る者を狩り、従順な信仰だけを残した。壁は保たれた。けれどそうやって守り抜いた信仰は、いちばん深く神を必要とした者たちの心ではなく、ただ疑うことをやめた者たちの、うつろな従順さだったのかもしれない──詩人は、そう静かに悔いています。

祖先の骨を集め、民の信仰を燃料にし、真実を隠して。そうまでして築いたゴーストフェンス。その門に立つ二つの塔に、神々は黄昏(ダスク)と夜明け(ドーン)の名を与えました。物語パートでも触れたとおり、それは夜と昼の境──かつて三柱を呪った女神アズラの、領分そのものの名です。

これを女神の意図と読むべきかどうかは、分かりません(※以下は私の推測です)。塔の名が方角に由来するというだけの、ただの偶然かもしれない。けれど──第四章で見たとおり、二つの食い違う物語が、たった一点だけ揃って認めたのは、アズラの呪いでした。その女神の領分の名を冠した門の内側で、神々はいま、祖先の骨と民の信仰を食いつぶしながら、緩慢な黄昏を生きている。

災いを封じたはずの門は、はじめから彼らを裁く女神の名に見下ろされていたのです。

シャーマット ──偽りの夢見人

第四章で、私たちはダゴス・ウルという男を「忠臣か、狂人か」という問いのもとに眺めました。彼は誓いに殉じた忠臣だったのか、それとも心臓に魅入られた裏切り者だったのか──二つの物語のあいだで、その像はついに一つに結びませんでした。

この節では、少し違う角度から彼を見ます。忠臣か狂人か、という善悪の問いではなく、そもそも地の底で目覚めた彼が「何に成ってしまったのか」──その存在のかたちを、見ていきたいのです。

ヴィヴェクはその聖典『三十六の教訓』のなかで、ダゴス・ウルに一つの名を与えています。

シャーマット(Sharmat)──偽りの夢見人。

耳慣れない言葉です。けれどこの一語のなかに、黄昏の時代のダゴス・ウルの正体が、驚くほど正確に畳み込まれています。

死んだまま、夢を見る者

物語パートで、私はダゴス・ウルを「死んだまま夢を見つづける存在」と書きました。これは比喩ではありません。彼の存在のかたちを、そのまま言い当てた言葉です。

アッシュランダーの賢女ニバニ・マエサは、ダゴス・ウルという存在を、こう言い表しました。物語のなかでも、とりわけ鋭く彼の本質を突いた一節です。

“ダゴス・ウル自身が、狂っている。彼は死んでいる、だが、生きていると夢見ている。彼は笑い声と愛を聞いている、だが、生み出すのは怪物と屍鬼だ。彼は恋人のように口説く、だが、その身から漂うのは恐怖と嫌悪だ”
(Dagoth Ur himself is mad. He is dead, but he dreams he lives. He hears laughter and love, but he makes monsters and ghouls. He woos as a lover, but he reeks with fear and disgust.)

アッシュランダーの賢女 ニバニ・マエサの言葉 より

ここに描かれているのは、知覚と現実が根本から食い違ってしまった存在です。

ダゴス・ウルは自分が愛を注いでいると思っている。だが、生み出しているのは病と怪物です。彼は自分の眷属を、変わり果てた狂信者や奇形の奴隷とは見ていません。彼にとって彼らは、なつかしい我が家門の一員なのです。眠る者の夢のなかへ入り込んだとき、彼は死者たちに、まるで生きているかのように語りかけ、笑い、戯れる。返事は返ってこないのに。

彼が民に送りつけた夢の一つは、こう記録されています。

“金の仮面をつけた背の高い影が、夢見る者を死者たちのあいだへ、まるで婚礼の宴のように導いていく。多くの声が聞こえるのに、誰の唇も動かない。息をしようとしても、胸は動かない──”

それがダゴス・ウルの見ている世界でした。彼の夢のなかでは、それは温かな祝宴です。けれど夢の外から見れば、それは死者の行列にほかならない。彼が愛と呼ぶものは病であり、彼が宴と呼ぶものは葬列でした。本人だけが、それに気づいていない。死んだまま、生きていると夢見て、その夢を現実に垂れ流している──それが「偽りの夢見人」ということの、いちばん底の意味です。

善意の罪

ここで、恐ろしいことに気づきます。ダゴス・ウルは、自分では善をなしているつもりだったのです。

彼が撒いたコープラス病を、彼とその眷属は「呪い」ではなく「贈り物」と呼びました。ダンマーの身体が病に爛れ、崩れていくことを、彼は災いとは見ていません。アズラの呪いによって着せられた「呪われた皮」を、ようやく脱ぎ捨てられるのだと、本気でそう信じていたのです。彼にとって病を撒くことは、民を呪いから解き放つ、慈悲の行いでした。

のちにネレヴァリンと対峙したとき、ダゴス・ウルは、自らの罪をどう正当化するのかと問われて、こう答えています。

“もしお前が我が罪と呼ぶのが、戦がもたらす避けがたい苦しみと破壊のことなら、私は喜んで指導者の重荷を引き受けよう。第六家は、戦なくして復興できぬ。伝統に縛られ、自足しきった群れをかき乱す危険なくして、啓蒙は育たぬ。帝国の雑種の軍勢は、流血なくしてモロウウィンドから追い払えぬ。慈悲と憐れみを持つ者として、私は嘆く。だが──我らの使命は、正しく、高貴なのだ”
(As I have charity and compassion, I grieve. But our mission is just and noble.)

ダゴス・ウルのゲーム内対話 より

これは、冷血な悪党の言葉ではありません。大義を信じ、そのための犠牲を引き受け、それでもなお心を痛めている者の言葉です。彼は自分を、慈悲深い解放者だと思っている。流血を嘆きながら、それを高貴な使命の代償として受け入れている。

ヴィヴェクは第十五説話のなかで、ネレヴァルにこう警告していました。

“汝の最大の敵はシャーマット、偽りの夢見人なり。(中略)善意の罪を警戒せよ。その者を、その言葉によって見抜け”
(His greatest enemy is the Sharmat, who is the false dreamer. […] Beware the crime of benevolence. Behold him by his words.)

ヴィヴェク著 『三十六の教訓』第十五説話 より

「善意の罪を警戒せよ(Beware the crime of benevolence)──この一句が、シャーマットの本質を突いています。ダゴス・ウルの恐ろしさは、悪意ではなく、ねじれた善意にある。彼は憎しみからではなく、愛から病を撒く。だからこそ止まらないし、だからこそ手に負えない。

そして──この「善意が罪になる」という主題を、私たちはこの章ですでに一度見ています。前の節で見たトリビュナルです。彼らは善き行いをなすほど、心臓の本性に逆らって神性をすり減らしていった。善が、破滅を呼んだ。ダゴス・ウルもまた、善のつもりで、病と死を撒いている。

善き神は、善きがゆえに衰えた。
偽りの夢見人は、善のつもりで災いを撒いた。

この黄昏の時代には、善が善として実を結ぶ道が、どこにも残されていなかったのです。

愛で縛る者、その鏡像

ダゴス・ウルのもう一つの際立った特徴は、彼が敵を、憎しみではなく友愛で搦めとろうとすることです。

ネレヴァリンと相まみえたとき、彼はいきなり斬りかかりはしませんでした。まず、こう語りかけたのです。幾度も、この場所をお前と分かち合おうと考えた。ふたたび友に、戦友に、兄弟に戻れるのではないか、と。戦いにあたっても、彼は家門の礼節を守り、「最初の一撃はお前に譲る」と申し出ました。討たれてもなお、心臓室で立ちはだかり、彼はこう囁きます。

“さあ、武器を捨てよ。我が慈悲を受けるに、まだ遅くはない──”

友として誘い、拒めば殺す。しかも礼儀正しく、慈悲を差し出しながら。

これは、トリビュナルと同じやり方です。彼らもまた、民のを得ることに執着し、その愛を人質に取るようにして神でありつづけました。前の節で見たゴーストフェンスも、民の信仰という愛を燃料にした壁でした。愛で人を縛るという一点で、討つ側の偽りの神々と、討たれる側の偽りの夢見人は、みごとに鏡合わせになっているのです。

この鏡像は、さらに奥へと続いていきます。

物語パートで触れたとおり、ダゴス・ウルの企ては、かつて彼が討ったはずの大祭司カグレナックの反復でした。真鍮の神を造り、それを核に民をひとつへ統べる──神殿の文書ですら、「ダゴス・ウルは、カグレナックの見解と動機を、そっくり受け継いだ」と記しています。彼は、自分が滅ぼした男の夢を、地の底で見つづけていたのです。

そればかりではありません。ダゴス・ウルは、機械の神アクラカンを核に、モロウウィンドを──やがてはタムリエル全土を統べようとしました。けれど、真鍮の巨神を動力に大陸を征服するというその筋書きは、かつてタイバー・セプティムがヌミディウムで第三帝国を打ち立てた、あのやり口と瓜二つです。帝国を「雑種の犬」と呼んで憎み、根絶やしにしようとした男が、その帝国の建国者と、まったく同じ手を打とうとしていた。

ダゴス・ウルは、自分が憎み、討ち、滅ぼそうとしたものすべてに──カグレナックに、トリビュナルに、そして帝国に──少しずつ成り果てていました。偽りの夢見人が見ていた夢とは、つまるところ、自らが葬ったはずの者たちの夢の、寄せ集めだったのかもしれません。

夢は、中心を断つまで醒めない

物語パートで見たとおり、トリビュナルはダゴス・ウルを幾度も討ち取りました。それでも彼は、そのたびに心臓によって蘇りました。倒しても、倒しても、戻ってくる。

これは、シャーマットが「偽りの夢見人」であることと、深く関わっています。夢を見ている当人を斬っても、夢そのものは終わりません。夢が湧き出す源──ロルカーンの心臓を断たないかぎり、彼はまた目を覚まし、また夢を見はじめる。彼を本当に終わらせる道は、彼を討つことではなく、夢の中心そのものを断つことだけでした。

そして、その「夢の中心を断つ」役目を負う者を、ヴィヴェクは同じ『三十六の教訓』のなかで、シャーマットのとして書き記していました。ホーテイター──還りしネレヴァル、すなわちネレヴァリンです。

興味深いことに、ヴィヴェクはこの二人を、ほとんど見分けのつかない一対として描いています。討つ者と討たれる者、還りし英雄と偽りの夢見人。その二つは、コインの裏表のように分かちがたい。じっさい後年、地の底で相まみえたとき、ダゴス・ウルはネレヴァリンにこう問いかけました。お前は本当に、還りしネレヴァルなのか──と。問われたネレヴァリン自身、確かな答えを持ちませんでした。

偽りの夢見人を終わらせる者もまた、自分が本物かどうか、確信を持てぬまま、夢の中心へと降りていく。その決着がどうつくのかは、このシリーズがたどり着く最後の章に、とっておくことにします。

いまはただ、こう言っておけば十分でしょう。第二紀882年に地の底で目を覚ましたのは、かつての忠臣ヴォリン・ダゴスではありませんでした。目を覚ましたのは、死んだまま生を夢見て、愛のつもりで災いを撒き、自らが憎んだものすべてに成り果てていく──ひとりの偽りの夢見人だったのです。

スポンサーリンク

さらなる解説

ここからは、物語の中に出てきた各要素について、より深く解説していきます。
ただし、あまりにも長くなってしまうため、興味があるときに読んでいただければと思います。

機械の心臓 ──永遠の都を動かす、作りかけの心臓

物語パートで見たとおり、ダゴス・ウルに心臓を断たれたことで、トリビュナルは神性を補充する術を失いました。毎年の巡礼で汲みなおしていた、あの源そのものが断たれてしまったのです。

一方、時の建築家ソーサ・シルは、クロックワーク・シティのために別の心臓を構想していました。

彼が構想したのは、途方もないものでした。失われたロルカーンの心臓の、機械じかけの複製。世界を欺いた神の心臓を、歯車と真鍮で作り直そうというのです。後に「新しきロルカーンの心臓」とも呼ばれることになるこの機械の心臓は、彼が地の底に築いた都(その正体は五章で詳しく見たとおりです)を、彼自身が滅びたのちも永遠に動かしつづける動力源として構想されました。

原典で明言される目的は、クロックワーク・シティを永遠に動かすことです。そのうえで、本物の心臓を断たれたソーサ・シルが機械の心臓を造ったことを、借り物の源を作りものの源で埋め合わせようとした試みとも読めます。ただし、この機械が三柱の神性そのものを補えたかは定かでありません。

しかし、事はそう簡単には運びません。生まれかけの機械の心臓は、初期の段階で危険なほど不安定に暴れ、都をまるごと吹き飛ばしかねないほどでした。神の心臓を模したものは、模したものであってなお、手に負えない力を孕んでいたのです。

暴れる心臓を鎮めるために、ソーサ・シルが取った手段が、また象徴的でした。彼は、カグレナックの道具の、自分なりの複製を作り上げたのです。心臓を制御し、形を与え、いざとなれば分解さえできる、独自の三つの道具を。かつて神になるために使った道具の仕組みを、こんどは機械の心臓を制御するため、自分の手で作り直したのです。

盗んだ道具で神になった者が、同じ仕組みを使って新たな心臓を制御しようとする。都を永遠に動かす計画にも、彼が神となった過去の技術が組み込まれていました。

もっとも、この心臓が第六章の時代に完成することはありませんでした。ソーサ・シルの構想はあまりに壮大で、そして彼には、それを完成させるだけの時間が残されていなかったのです。

はるか後の世、ある事情から自らの終わりが近いことを悟ったとき、彼は最期の力で、機械の建造がひとりでに続くよう仕掛けを施したと伝えられます。そのとき彼が漏らしたという言葉が、いかにも時の建築家らしいものでした。

“私は死ぬ。だが、死とは何だ? 自然の一機能にすぎぬ。作業は始まった。完成までおよそ二百七年かかるだろう──だが、それが何だというのか? 端数の誤差にすぎぬ”
(I die, but what is death? A natural function. […] It will take approximately 207 years, but what is that? A rounding error.)

ソーサ・シルの言葉(『The Elder Scrolls: Legends ― Return to Clockwork City』)より

二百七年を「端数の誤差」と言い切る。この心臓が本当に完成するのは、彼の死からおよそ二百年ののち、着想の時から数えれば六百年以上をかけてのことでした。作り手が世を去って二世紀、無人の都で、機械だけが黙々と、都を動かす心臓を組み上げつづけたのです。

失敗した化身たち ──”その者”ではなかった者たち

物語パートで、還らぬ者たちの一人としてエルル・ダンに触れました。ネレヴァルの帰還を待つあいだ、自らこそネレヴァリンだと信じて立ち上がり、そして倒れていった者たち──失敗した化身(Failed Incarnate)と呼ばれる人々です。

アッシュランダーの預言は、いつの日かネレヴァルが還ると告げていました。けれど「還った」と名乗り出た者が、本物かどうかは、すぐには分かりません。灰の民は、月と星の指輪を継ぐにふさわしいかを、いくつもの徴と資質で見定めようとしました。そしてそのたびに──惜しいところで、何か一つが欠けていたのです。

彼らの魂は死後、女神アズラの像が見下ろす「化身の洞」に集められ、そこで静かに、本物の到来を待ちつづけました。そして後年、真の化身がその洞を訪れたとき、彼らは一人ずつ、自らの物語を語りかけます。その言葉が、いずれも胸を打つのです。

皆、同じ挨拶から始めます。「ようこそ、化身よ。私は”その者”ではなかった。だが、待ち、望んでいる」と。そして、それぞれの欠けを、自らの口で語るのです。

ホート・レッドは、帝国がモロウウィンドへ進出した時代の混乱を生き、約四百年前に死にました。星の徴を受けていたものの、自分は考える者であって、行う者ではなかったと振り返ります。知恵はあっても、それを行動へ移す英雄にはなれませんでした。

イドレニエ・ネロサンは、表舞台に立たず、アカヴィルの侵略軍を弱らせて撃退するために働きました。しかし、アッシュランダーのもとへ逃れるまで、ネレヴァリンの預言もダゴス・ウルのことも知りませんでした。その後、廃墟となったコゴルーンを漁ろうとして死亡し、自らを「愚か者として死んだ」と評しています。

コヌーン・チョダラは、アシュカンとしてアカヴィル軍と戦った勇者です。帝国軍が逃げるなかでも戦い続け、レッドマウンテンの要塞へ足を踏み入れました。しかし、賢女たちの助言に耳を貸さず、栄光を求めたため、本当に戦うべき敵を見失ったと悔いています。

アネ・テリアは、トリビュナルが最も栄えていた時代の神殿騎士でした。彼女が執筆に関わった文書の一部は、のちに神殿から禁じられ、異端文書アポグラファに数えられます。それでも生前の彼女はトリビュナルを疑わず、ネレヴァリンの預言を信じようとしませんでした。真実に気づいたときには、すでに手遅れだったと語っています。

そして本編で触れたエルル・ダンは、モロウウィンドが帝国へ降伏するところを目撃しました。帝国とトリビュナルの双方に裏切られたと感じ、憎しみと復讐を誓います。やがて絶望のなかでレッドマウンテンへ向かい、年老いるまでブライトや怪物と戦い、そこで命を落としました。

並べてみると、それぞれが「その者」になれなかった理由は同じではありません。行動できなかった者。預言を知らなかった者。助言を聞かなかった者。復讐を胸に戦って死んだ者。そして、別の失敗した化身ダナートは、こう語ります。

真の化身とは、飛び抜けた力を持つ者ではありません。聞く耳と、知識と、勇気と、謙虚さ──そのすべてを、ただ一人で兼ね備える者のことでした。だからこそ、これほど多くの者が、惜しいところで「その者」になれなかったのです。

六人のなかで、最も新しい失敗した化身がピークスターです。幼いころ、アルド・レダイニア近くの海岸へ流れ着き、ウルシラク族に育てられました。素性の分からないその少女を、ネレヴァリンではないかと考える者もいました。

その後、ピークスターは長いあいだ行方不明となります。神殿は捜索の末に彼女の死亡を発表しましたが、遺体を示さなかったため、アッシュランダーのあいだでは生存説も残りました。主人公が化身の洞で彼女の霊と出会い、ようやく本当の結末を知ります。

ピークスターはブライトに耐えました。しかし、戦いの技を身につけきれず、灰の吸血鬼との戦闘で死亡します。また、大名家の慣習を学ぶこともできず、自分ではホータトールとして認められなかっただろうと話します。預言の一部には当てはまっていても、最後まで進むことはできませんでした。

さらに、第二紀を描いた『The Elder Scrolls Online』にも、別の失敗した化身が登場します。その一人、ダナートは、賢者たちの助言を退けたことで、自分の部族を破滅させました。彼が残した言葉は、チョダラの後悔とも重なります。

“ネレヴァリンは、宣言するだけでなく、耳を傾けねばならない。知恵があっても、耳を貸さなければ無知と変わらない”
(The Nerevarine must listen as well as proclaim. […] Wisdom ignored is ignorance.)

ダナートの言葉(『The Elder Scrolls: Online』)より

彼らの失敗は同じではありません。考えるだけで行動できなかった者。預言を知らなかった者。助言を拒んだ者。信じるべき相手を疑わなかった者。復讐や栄光に目を奪われた者もいました。

この証言を並べて読むと、ネレヴァリンに必要だったのは戦う力だけではなかったと分かります。知識を求め、他者の言葉を聞き、自分の過ちを認め、それでも行動すること。七つの試練を越えるには、そのどれも欠かせませんでした。

失敗した化身たちは、あとから来た主人公を責めません。自分にはもう必要のない武具や道具を渡し、その先へ進むよう促します。チョダラは斧と靴を、エルル・ダンは槍と胸当てを、イドレニエは開錠の道具を託します。アネ・テリアも槌矛と書物を差し出しました。

ホート・レッドは、自分の持ち物を渡しながら、こう言います。

“これを持っていけ。私の骨は、文句を言うまいよ”
(Take these things of mine. My bones won’t complain.)

ホート・レッドの言葉(『The Elder Scrolls III: Morrowind』)より

自分は、その者ではなかった。

けれど、次に来る者のために、自分が残したものを渡すことはできる。

ネレヴァルの死から、およそ三千五百年。預言を背負って立ち上がり、届かずに倒れた者たちの武具と後悔が、化身の洞には残されていました。

主人公がレッドマウンテンへ向かう道は、帝国の囚人船から始まっただけではありません。その道の手前には、何世代にもわたって倒れていった、その者ではなかった者たちがいたのです。

コープラス病 ──呪いか、贈り物か

物語パートで、ダゴス・ウルが病を撒き、それを「贈り物」と信じていたことに触れました。その病について、もう少し詳しく見ておきます。

まず、二つの言葉を区別しておきましょう。ブライト(Blight)とコープラス(Corprus)です。

ブライトは、レッドマウンテンから吹きつける灰嵐(アッシュストーム)に乗って広がる、病の総称です。ダゴス・ウルが生み出し、風に乗せて撒き散らした災いでした。第二節で見たゴーストフェンスは、まさにこのブライトを山の内に封じ込めるための壁だったのです。壁が弱まるにつれ、ブライトは外へと漏れ出していきました。

そのブライトのなかでも、最も恐ろしいものがコープラスでした。身体を腫瘍で醜く変形させ、心を蝕んでいく病。そして何より、コープラスには通常の治療が通じませんでした。

その正体について、コープラスに詳しい魔術師ディヴァイス・ファーは、一つの見立てを示しています。

コープラスは、神による呪いか、祝福か──あるいは、その両方なのかもしれない。

ファーの実験薬も、それまでの被験者を全員死亡させていました。主人公だけは薬に耐え、肉体の変形と精神への侵食を取り除かれます。ただし、コープラスそのものは体内に残りました。

そして彼はコープラスの原理を「通常のいかなる魔術や付呪より、はるかに精妙で強力なもの」と評し、それが神の呪いか祝福か、あるいはその両方ではないかと語りました。この見立てに立てば、コープラスは、ロルカーンの心臓から神性を得たダゴス・ウルの力が、定命の肉には耐えきれない形で現れたもの、と読むこともできます。ただし、これはファーが示した一つの見方にすぎず、確定した事実ではありません。

神殿の調査によれば、コープラスに冒された第六家の信徒は、二つの道に分かれるとされます。

弱き信徒は、その肉体の変化を制御できず、心を失い、無心の怪物──コープラス・ストーカーや、足萎えのコープラス──へと堕ちていきます。病を撒き散らす媒介であり、あるいは、見る者への警告となる。

いっぽう、強き信徒は、その変化を御し、より高い力──昇天せる眠り手(Ascended Sleeper)と呼ばれる、ダゴス・ウルの最も近しい眷属の力──に近づいていくとされます。同じ病が、一方を無心の獣に堕とし、他方を高みへ引き上げる。この分岐そのものが、いかにもダゴス・ウルらしい残酷さを帯びています。ただし、これは捕らえた信徒の証言や推測をまとめた神殿の文書に基づくもので、獣から昇天せる眠り手まで、どのような段階を順に経るのかまでは、確かめられていません。

ダゴス・ウルとその眷属である第六家は、この病を「呪い」とは呼びませんでした。彼らはこれを「神性の病」と呼びました。第三節で見たとおり、彼らにとって病とは、ダンマーという種族の進化であり、統一と不死をもたらし、外の世界──とりわけ帝国──の影響から民を守る、聖なる恩寵だったのです。

ダゴス・ウルは夢のなかで、信徒たちに「呪われた皮を脱ぎ捨てよ」と呼びかけます。その病による肉体の変形を、彼は、トリビュナルがもたらした呪われた皮──すなわちアズラの呪いによる灰色の肌──を脱ぎ捨てることだと見なしていた、と解釈されています。ただし、夢のなかのその言葉自体は、「皮」が何を指すのかを明言してはいません。

そして、眠れる者や夢見る者よりもさらに深く第六家の秘儀へ分け入った者を、彼らは「彼の肉の子ら」と呼びました。ダゴス・ウルに仕える者の一人、ダゴス・ガレスは、その者たちをこう讃えています。

“眠れる者と夢見る者は、主のもとに来たばかりで、いまだ主の力を賜ってはいない。だが、彼の肉の子らは、主の神秘の奥深くにある。彼らの身体は、主の栄光を容れて膨れ上がり、我らの主の饗宴の、豊かな聖餐を実らせるのだ”
(Their bodies swell to contain his glory, and to yield the rich sacraments of our Lord’s feasts.)

ダゴス・ガレスの言葉 より

腫瘍に膨れ上がる肉体を、「主の栄光を容れて膨れる」と讃える。醜い病を、聖なる饗宴と呼ぶ。これこそ、第三節で見た「偽りの夢見人」の知覚そのものです。彼らの目には、腐り崩れていく身体が、神の恩寵に輝いて見えている。呪いを贈り物と呼び替えるこの倒錯は──かつてトリビュナルが、アズラの呪いを「祝福」と呼び替えたやり口と、不気味なほどよく似ているのです。

アーミスティス ──神殿の弾圧を、帝国が保証した条約

物語パートで、第二紀896年、ヴィヴェクがタイバー・セプティムと結んだ休戦条約アーミスティスに触れました。半自治と引き換えに、モロウウィンドが帝国に組み込まれた、あの条約です。もう少し詳しく見ておきましょう。

その十四年前、ダゴス・ウルによって心臓への道を断たれ、トリビュナルは神性を補充できなくなっていました。これがヴィヴェクの判断にどれほど影響したかは、記録されていません。ただ、内ではダゴス・ウルが力を増し、外では帝国の軍団が国境へ迫っていました。しかも大名家は一枚岩ではなく、インドリルとドレスは抗戦を、フラールは講和を、テルヴァンニは中立を唱え、レドランだけが正面から帝国軍と戦う構えでした。ヴィヴェクが戦争より交渉を選んだ背景には、この内と外の二重の危機があったと考えられます。

心臓を断たれ、神性が痩せ細っていくなかで、ヴィヴェクにはもはや帝国と全面的に戦う力は残されていませんでした。彼は交渉せざるをえなかった。黄昏の神々の弱体化が、この歴史的な講和の、隠された引き金だったのです。

条約によって、モロウウィンドは破格の自治を勝ち取りました。ほかのどの属州にも許されない、自前の法と慣習。神殿への不干渉。そして、帝国全土で禁じられた奴隷制すら、モロウウィンドでのみ合法として保護されたのです。ヴァーデンフェル島は、神殿の聖域として、外来者の立ち入りを厳しく制限されました。

けれど、この条約には、この章を読んできた私たちにとって、見過ごせない一条が含まれていました。

オーディネーターは、異端者と異論派の司祭を迫害する権利を、条約によって保証された。

ここに、深い皮肉があります。第二節で見たとおり、神殿が異論派を迫害したのは、民の信仰こそがゴーストフェンスを支える燃料だったからでした。真実を語る口を塞がねば、壁が崩れる。その、神を騙る者たちの弾圧が──よりにもよって、外からやってきた人間の征服者タイバー・セプティムの条約によって、公式に裏書きされたのです。帝国は宗教の自由をもたらしたはずでした。にもかかわらず、その帝国が、トリビュナルの弾圧の権利を条文で認めた。奪った神性を守るための迫害を、人間の帝王が保証する──黄昏の神々は、その神性を保つために、ついに征服者の力まで借りたことになります。

そして、帝国がこの条約で最も欲したものが、もう一つの皮肉を生みます。ヌミディウムです。

第二章を思い出してください。ヌミディウムとは、大祭司カグレナックが心臓を動力源として造り上げようとした、真鍮の人造神。理性を信奉したドゥーマーが、神になろうとして造り、そして種族もろとも滅びる一因となった、あの機械の神です。ヴィヴェクは、このドゥーマーの遺産を、そっくり帝国に譲り渡したのです。

タイバー・セプティムは、このヌミディウムを起動させ、大陸の統一に用いました。東方の噂によれば、ヴィヴェクは、それがアルトマーの地サマーセットの征服に使われることまで承知のうえだったといいます。事実、真鍮の神は、わずか一時間でアルトマーの都アリノールを陥とし、タムリエルの統一を成し遂げました。神を信じぬ民が神になろうとして造った機械が、めぐりめぐって、人間の帝王による大陸統一の道具となったのです。滅びたドゥーマーの夢の残骸が、まったく違う手に渡って、まったく違う帝国を打ち立てた。

この条約を、多くのダンマーは「トリビュナルの裏切り」として受け止め、衝撃と怒りに震えました。とりわけ、条約を拒んだ大評議会の議長──敬虔なインドリル家の当主は、これに従うことを断固として拒み、そして暗殺されます。後釜に座ったのは、帝国と現実的に付き合う道を選んだフラール家でした。フラール家はこの機に乗じて、インドリル家への積年の遺恨を晴らし、各地の評議会が血のクーデターで次々と塗り替えられていったのです。

黄金の世を三千年あまり統べた神々が、心臓を断たれた黄昏には、征服者の前に膝を折り、民の一部を敵に回してまで、その神殿と神性を守ろうとした。アーミスティスは、黄昏の神々がどこまで追いつめられていたかを、条文のかたちで刻んだ一枚でもあったのです。

スポンサーリンク

黄昏の、その果てへ

ここまでが、神々の黄昏の物語です。

三千年あまり、この地を統べた三柱。その神性が、地の底から這い上がった男によって、少しずつ削り取られていきました。けれど、この章で見えてきたのは、もっと深いところにあるものでした。彼らの力は、心臓から汲みつづける借り物にすぎず、善き神であろうとするほどにすり減っていく。

神々はダゴス・ウルに断たれるより前から、すでに黄昏を始めていたのです。

祖先の骨を積み、民の信仰を燃やし、真実の口を封じてまで、彼らは抗いました。それでも、借りたものには、返すときが来ます。

そして物語の最後、遠い夢のなかから、あの女神の声が響きました。いつの日か還る者を約束した、アズラの声が。その刻が、いま満ちようとしています。

次の章、いよいよこのシリーズは最後の一日へたどり着きます。帝国の船で島へ運ばれてきた、名も知れぬひとりの囚人。その者は、本当にネレヴァルの生まれ変わりなのか。偽りの神々と偽りの夢見人は、どのような決着を迎えるのか。そして、三千年あまり前に断ち切られた誓いは、いかにして果たされるのか。

→ 【TES世界観解説】トリビュナルとは何者か その7|還りし者、ネレヴァリン(執筆中)

ぜひ記事をシェアしてください!今後の励みになります!

コメント

コメントを投稿する

最大5件を自動でZIPにまとめます。画像: jpg, png, gif, webp (5MB/件) / その他: txt, log, csv, md, xml, json, ini, cfg, conf, yaml, yml (1MB/件・合計5MB)

目次