暁の時代(Dawn Era)とは、TES世界において、時間がまだ直線的に流れていなかった時代のことです。
物理法則も因果の順序も定まっておらず、「何年に何が起きた」という形では記述できません。第一紀より前、というより、年数を数えるという行為そのものが成立する前の段階を指します。
ふつうのファンタジー作品であれば、神が世界を作り、そのあと世界の中で人や王国の歴史が始まります。ところが『The Elder Scrolls(TES)』では、そのもっと手前が神話の主題になっています。
神々はどのように神々となったのか。世界の法則はどのように固定されたのか。時間はなぜ流れるようになったのか。宇宙の成立過程そのものが、作中の書物で正面から論じられています。
この記事では、ゲーム内に置かれている二冊の書物『注釈付きアヌアド/子供向けのアヌの伝記』と『モノミス』を軸に、暁の時代の内容と、そこから派生した論点を解説します。
あわせて、日本語圏でよく紹介されるエナンティオモルフという概念について、その記述がどの書物のどこにあるのかを確認します。原典の引用はすべて、書名と収録作品を添えてあります。
第一章:暁の時代とは何か ──年表にならない時代
暁の時代を扱う難しさは、資料が少ないことではありません。むしろ資料は複数あり、そしてそれらが互いに食い違っています。
時間が定まっていない時代の話であるため、後代の歴史書のように出来事を並べることがそもそもできず、どこまでが比喩でどこからが文字通りの出来事なのかも、文化ごとの伝承で大きく異なります。
その食い違いは、記述の粗さから来ているのではありません。ゲーム内に置かれた書物の側が、食い違いを自覚したうえで両論を並記しています。
『モノミス』の序文には、同じひとつの出来事に対する正反対の評価が、同じ段落の中に置かれています。
“人間は、レッドガードを除いて、この行いを神の慈悲と見なす。より劣った被造物が不死へ至れるようにした啓きだ、と。アルドマーは、ダークエルフを除いて、この行いを残酷な欺きと見なす。自分たちと霊の次元との繋がりを断ち切った、たばかりだ、と”
(… see this act as a divine mercy … see this act as a cruel deception …)
『モノミス』序(Morrowind・Skyrim 収録)より
ここで言う「この行い(this act)」とは、ムンダス、すなわち定命の世界が作られたことを指します。タムリエルもニルンも、プレイヤーが歩き回るすべての土地がそこに含まれます。
世界が生まれたというひとつの出来事を、片方は神の慈悲と呼び、もう片方は残酷な欺きと呼んでいる。しかも両方の評価が、同じ本の同じ段落に収められています。
したがって暁の時代の解説は、出来事を時系列に並べる作業にはなりません。この記事が追うのは、次のひとつの論点です。ムンダスの創造は、贈り物だったのか、それとも罠だったのか。
先に結論を書いておくと、この記事はどの版が正しいかを決めません。決められないからです。以下では、決められない理由を、原典の文章そのもので示していきます。
第二章:物語としての創世 ──『注釈付きアヌアド』

アヌアドとは何か ──三つの題名と、確定しない出自
『アヌアド』は、TESの創世神話を扱う書物のなかで、もっとも平易な語り口で書かれた一冊です。宇宙の法則が、兄弟の争いと血という、きわめて生々しい物語として語られます。作品ごとに題名が異なりますが、本文の内容はほぼ同一です。
では、これはどの民に伝わる神話なのか。ここは確定していません。日本語圏を含めてよく紹介されるのはアイレイド(ワイルドエルフ)起源説ですが、この説の足場はかなり弱いものです。
典拠は、フランス語版『モノミス』に付いた節見出し一行で、そこでアヌアドの神話が「アイレイドの」と形容されています。
ただし UESP に載っているそのフランス語版は、ゲームから吸い出したデータではなく有志3名によるファン英訳であり、UESP 自身も通常の出典とは別扱いにしています。翻訳版に付いた見出し一行を根拠に、アイレイド起源が定説だと書くことはできません。
英語の資料で確実に言えるのは、Morrowind 同梱の小冊子『Pocket Guide to the Empire 第1版』が「アヌアドの美しき異端」(the beautiful heresies of the Anuad)という言い回しでこれをエルフの著作として扱っている、というところまでです。エルフの本ではある。ただし、どのエルフかは書かれていない。
そもそもこの本には作中の著者名が存在せず、誰が書いたのかも、どの民に伝わってきたのかも、本文からは分かりません。
語り手が特定できないという点は、第三章で効いてきます。創世神話がこれほど食い違うのは、それぞれに語り手がいるからです。その意味で、アヌアドは少し宙に浮いた位置にあります。
以下が全文です。短い本なので通して引きます。注目したいのは、神々がどこから生まれてくるかという一点です。
最初にいたのは、兄弟でした。兄はアヌ、弟はパドメイ。ふたりが虚無へやってきたとき、時が始まりました。
(The first ones were brothers: Anu and Padomay. They came into the Void, and Time began.)アヌとパドメイが虚無をさまようあいだに、光と闇の交わりからニルが生まれました。ふたりとも驚き、心を奪われました。けれどニルが愛したのはアヌだけでした。パドメイは苦い思いを抱えて、ふたりのもとを去りました。
やがてニルは身ごもりました。産む前にパドメイが戻り、自分の愛を告げました。ニルは、愛しているのはアヌだけだと答えました。怒ったパドメイはニルを打ちました。そこへアヌが戻って戦い、パドメイを時の外へ追放しました。ニルは創造を産みましたが、傷がもとでまもなく死にました。アヌは悲しみ、太陽の中に身を隠して眠りました。
そのあいだに、創造の十二の世界では命が芽生え、栄えていきました。長い時ののち、パドメイは再び時の中へ戻れるようになりました。彼は創造を見て、それを憎みました。そして剣を振るい、整って並んでいた十二の世界を打ち砕きました。アヌは目覚め、もう一度パドメイと戦いました。長く激しい戦いの末、勝ったのはアヌでした。アヌは死んだと思った兄弟の体を捨て、砕け残った十二の世界をひとつにまとめて創造を救おうとしました。それがニルン、タムリエルの世界でした。けれどそのとき、パドメイが最後の一撃でアヌの胸を貫きました。アヌは兄弟に組みつき、そのままふたりとも永遠に時の外へ消えました。
パドメイの血はデイドラになりました。アヌの血は星々になりました。そして、ふたりの血が混ざったものはエイドラになりました。そのためエイドラは善にも悪にも傾く力を持ち、創造と何のつながりも持たないデイドラより、この世のことに深く関わるのです。
(The blood of Anu became the stars. The mingled blood of both became the Aedra …)ニルンの世界は、まだ混沌に満ちていました。創造の十二の世界で生き残ったのは、エルノフェイとヒストだけでした。エルノフェイは、のちのマー(エルフ)と人間の祖先です。ヒストはアルゴニアの樹々です。はじめのニルンは、広い陸地のあいだに海が散らばっている姿で、まだ大洋はありませんでした。
エルノフェイの世界の大きな断片のひとつは、比較的そのままの形でニルンへ落ちました。そこに住んでいたエルノフェイたちは、のちのマーの祖先になりました。彼らは外の混沌から国境を固め、自分たちの穏やかな土地を隠し、昔と同じように暮らし続けようとしました。
ほかのエルノフェイたちは、砕けた世界の入り混じった残骸の中に散らばりながらニルンへたどり着きました。彼らはさまよい、年月をかけて互いを見つけていきました。やがて、さまようエルノフェイたちは、古きエルノフェイの隠された土地を見つけました。遠い昔の輝きの中で同胞が暮らしているのを見て、驚き、喜びました。放浪する者たちは、その平和な国へ迎え入れられるものと思っていました。けれど古きエルノフェイは彼らを、かつての栄光から落ちぶれた者たちとして見ました。理由が何であれ、そこから戦いが始まり、ニルン全土へ広がりました。
(…but the Old Ehlnofey looked on them as degenerates, fallen from their former glory.)古きエルノフェイは、古代の力と知識をなお保っていました。けれど放浪者たちは数で勝り、ニルンで生き延びるための長い苦闘によって鍛えられていました。この戦いはニルンの姿そのものを変えました。多くの陸地は新たな大洋の底へ沈み、いま知られる土地、すなわちタムリエル、アカヴィル、アトモーラ、ヨクダが残されました。古きエルノフェイの国は、滅びながらもタムリエルとなりました。放浪者たちの残りは、ほかの三つの大陸に分かれて残されました。
長い年月ののち、タムリエルのエルノフェイはマー、すなわちエルフとなりました。ドゥーマー、チャイマー、ダンマー、ボズマー、アルトマー。ほかの大陸では、さまよえるエルノフェイが人間になりました。アトモーラではノルドに、ヨクダではレッドガードに、アカヴィルではツァエシに。
ヒストはエルノフェイの戦いでは傍観者でした。けれど戦火がその地を通り過ぎるうちに、彼らの領域の大半は滅ぼされました。ほんの小さな一角だけが生き残り、タムリエルのブラック・マーシュとなりました。
やがて人間たちはタムリエルへ戻ってきました。最初はノルドでした。伝説のイスグラモルに率いられ、記録に残るより前の時代に、北岸へ植民を始めました。その血筋の十三代目にあたるハラルド王が、文字の記録に現れる最初の王となりました。そしてメレシック紀は終わりました。
『注釈付きアヌアド』(Morrowind)/『子供向けアヌの伝記』(Oblivion・Skyrim)/『アヌアドの意訳』(ESO)より。訳は当記事による
(And so the Mythic Era ended.)
アヌアドの解説・考察 ──血と残骸から生まれた世界
短い本ですが、この一冊だけで、TES世界の根本的な対立がほとんど出そろっています。
- 秩序と変化
- 創造と破壊
- エイドラとデイドラ
- そしてエルフと人間
1. 神々は「血」から生まれた
アヌアドにおいて、神々は最初から高次の存在として君臨していたわけではありません。アヌとパドメイが殺し合ったときに流れた血から生まれています。
- 純粋なパドメイの血 = デイドラ
- 純粋なアヌの血 = 星々
- ふたりの血が混ざったもの = エイドラ
神々が純粋な理念ではなく、暴力と断裂の産物として描かれている点は、後続のロアを読むうえで重要です。TESの神々は死にます。力を失います。狂います。
ほかの神話体系であれば、神が死ぬというのは異常事態として別途の説明を要するはずです。ところがこの本は、最初からそういう素性の存在として彼らを紹介しています。
宇宙生成の事故現場からこぼれ落ちた混ざりものである以上、完全でないのはむしろ当然だ、という論理になっています。
2. ニルンは「寄せ集めの残骸」である
ふつうの神話では、世界は神の設計図どおりに作られます。アヌアドは違います。かつて整って並んでいた十二の世界がパドメイによって粉々に打ち砕かれ、その破片をアヌが無理やり一つに握り固めたもの。それが、あの星ニルンです。
最初から傷を抱え、壊れた創造の後始末としてできあがった世界だということになります。
もちろん、プレイ中にこの由来を意識することはほとんどないでしょう。プレイヤーにとってニルンは、ただそこにある世界であり、探索し、会話し、戦い、旅をする場所です。
ただ、この本を読んだあとだと、廃墟の見え方は少し変わります。各地に残るドゥーマーやアイレイドの遺構は、かつて栄えた文明が例外なく滅んでいることを示しています。その上に、いまの都市が建っている。寄せ集めの世界という設定は、風景の側にも一応の裏づけを持っています。
3. エルフと人間の分岐 ──守られた者と、さまよった者
後半のエルノフェイの争いは、タムリエルの歴史を貫くエルフと人間の対立の、神話的な起源にあたります。そして両者の出発点の違いが、そのまま性格の違いとして書かれています。
古きエルノフェイは、比較的無傷のまま落ちてきた土地に残り、かつての栄光と力を保った者たち。さまようエルノフェイは、残骸の中を彷徨い、過酷な環境で苦闘し、数と強靭さで生き延びた者たちです。
そして両者が再会したとき、先ほど英文を添えた一行が効いてきます。古きエルノフェイは、再会した同胞を「落ちぶれた者たち」と見ました。喜んで駆け寄った側が、そう見られた。戦争はそこから始まっています。
この出発点の違いは、後代の両者の世界観に長い影を落としています。アルトマーに代表されるエルフの文化には「かつての高みから堕ちた」という意識が深く刻まれており、失われた神性への回帰に執着しがちなのは、自分たちが完全な世界にいた者の末裔だという記憶、あるいは信仰があるからです。
アルトマーの傲慢も、ダンマーの苦難も、根にあるのは「本来あるべき状態はここではない」という感覚だと説明できます。
一方、人間の諸文化には、苦難を自力で切り抜けてきたことへの誇りがあり、不完全な世界を受け入れて前に進む姿勢が比較的強い傾向にあります。
もちろんこれは神話が描く原型であって、すべてのエルフが傲慢で、すべての人間が逞しいわけではありません。
帝国はエルフと人間が共存する体制のうえに成り立っていますし、個人や派閥の単位で見れば、この図式に収まらない例はいくらでもあります。
それでも文化的な傾向を遡ると、その根がこの分岐にまで届いている──というのが、アヌアドの語る構造です。
4. アヌアドが語らないこと ──ロルカーンの不在
ここまでがアヌアドの書いていることです。次に、書いていないことを見ます。この本には、TESの創世神話でもっとも議論を呼ぶ神が、一度も登場しません。ロルカーンです。
ロルカーンは、定命の世界の創造を提案し、神々を巻き込み、その過程で神々の力を奪い取った、あるいは神々に自己犠牲の機会を与えたとされる神です。エルフにとっては詐欺師であり、人間にとっては英雄です。
ところがアヌアドでは、ニルンの創造はアヌが砕けた世界を握り固めた結果として書かれており、ロルカーンの名前はどこにも出てきません。
彼が果たしたとされる役割は、まるごとアヌとパドメイの争いに吸収されています。創世を語る本が、他の版では創世の張本人とされる存在を、一言も書いていないということです。
アヌアドが省いているものは、ほかにもあります。マグナスの逃亡も、アヌイ・エルとシシスという階層構造も出てきません。
アヌアドではアヌとパドメイがそのまま原初の行為者として物語を動かしますが、後述するアルトマーの神学では、アヌは直接世界に働きかける存在ではありません。この省略された層を一枚ずつめくっていくのが、次に読む『モノミス』の役割です。
第三章:比較神話としての創世 ──『モノミス』
モノミスとは何か
『モノミス/単一神話(The Monomyth)』は、タムリエルの諸文化に散らばる創世神話を並べ、その底に流れる共通構造を浮かび上がらせようとする書物です。
題名はジョーゼフ・キャンベルの著作『千の顔をもつ英雄』の概念から取られています。Morrowind と Skyrim に収録されています。
この本の解説上の強みは、複数の版を一冊の中に並べて収録している点にあります。同じ出来事について四つの語り方を、ページをめくるだけで比較できます。ただし中立的な教科書ではありません。
ある修行者が皇帝に向けてアルトマーの宗教観を説明した解説が含まれていたり、どの神話をどう並べるかという選択そのものに編纂者の解釈が入っていたりします。
以下、収録された四つの版を順に見ていきます。
アルトマーの創世 ──「世界の心臓」と、罠という読み
まずアルトマー(ハイエルフ)の版です。以下の筋は要約で、原文そのものではありません。
アヌは万物であり、自らを知るために魂アヌイ・エルを創りました。アヌイ・エルは自分に輪郭を与えるためにシシスを生み、両者の作用がオービス(宇宙全体)になりました。
はじめのオービスは混沌としていたため、アヌはアーリエルを創ります。アーリエルは時間という力として全体に染み渡り、精霊たちは初めて過去と未来を持ちました。そして名を得ました。マグナス、というように。
その中にロルカーンがいました。ほかの精霊が固有の性質を持っていたのに対し、ロルカーンの本質は「限界」そのものです。どこにも長く留まれず、精霊たちの中を渡り歩いては考えを植えつけていきます。
やがて彼は計画を提示しました。精霊のそのまた分身までもが自分を見つめ直せる場所を作ろう、という提案です。これがムンダスの構想でした。多くが賛同し、アーリエルですら「新しい世界の王にしてやる」と言われて同意しました。
この版が特徴的なのは、できあがった世界に対する評価を、地の文ではっきり書いている点です。
“だが、これは罠だった。ロルカーンが知っていたとおり、この世界は限界でないものより限界のほうが多く、したがってアヌのものとはとうてい言えなかった。ムンダスはシシスの家だったのだ“
『モノミス』所収「世界の心臓」(Morrowind・Skyrim)より
(But this was a trick. … Mundus was the House of Sithis.)
罠だった、と断定しています。力を注げば注ぐほど精霊たちは弱くなり、消えた者も多くいました。これがアルトマーの世界観の核心です。
本来は不死だったのに、騙されて定命に堕とされた。アルトマーにとっては、いま生きて死ぬ身であること自体が、敗北の証拠だということになります。
残った神々は弱り続けました。世代を重ねるたびに力は薄まり、やがてアルドマーが生まれます。そしてアーリエル最強の騎士トリニマックが、軍勢の前でロルカーンを打ち倒し、その胸から心臓をえぐり出しました。ところが、この心臓が壊れませんでした。
“だがトリニマックとアーリエルがロルカーンの心臓を壊そうとしたとき、心臓は彼らを笑った。そしてこう言った。『この心臓は世界の心臓だ。一方は他方を満たすために作られたのだから』“
『モノミス』所収「世界の心臓」(Morrowind・Skyrim)より
(… it laughed at them. It said, “This Heart is the heart of the world …”)
世界の心臓という自己申告がここで出ます。心臓を壊すことは世界を壊すことだったため、アーリエルは破壊を諦め、心臓を矢に結びつけて遠い海へ射ました。この本が書いているのは、そこまでです。
Morrowind を遊んだ方なら、この心臓に心当たりがあるでしょう。ダゴス・ウルが地下で守り、トリビュナルが力の源として利用し、ネレヴァリンが最後に対峙するもの。
それが、この神話で笑った心臓そのものです。詳しくはトリビュナル連載 その2で扱っています。
マグナスの逃亡 ──太陽と星の正体
アルトマー版には、TESで魔法が使える理由を説明する一行が挟まっています。
“マグナスのように逃げおおせた者たちもいた。だから魔法には限界がない“
『モノミス』所収「世界の心臓」(Morrowind・Skyrim)より
(Some escaped, like Magnus, and that is why there are no limitations to magic.)
逃げおおせた。ムンダスの外へ出た者がいるから、その者たちに由来する力には限界が課されていない、という論理です。ただし、この本が書いているのは逃げたということだけで、逃げた先で何が起きたのかは書かれていません。
ここに、TESの宇宙論のなかでもっとも有名な説明が接続されます。ムンダスは、オブリビオンという暗い壁に囲まれた部屋のようなもので、その壁のさらに向こう側にエセリウス(神の次元)という光に満ちた空間がある。
マグナスは逃げるとき、この壁をぶち破って向こう側へ飛び出した。その巨大な穴から光が差し込んでいる。それが太陽である。続いて逃げた精霊たち(マグナ・ゲ)が開けた小さな穴の数々が、星である。
そして穴が塞がらないまま残っているからこそ、マジカがムンダスに流れ込み続けている──。
夜空の星は燃えているのではなく、壁の裂け目だという説明です。よくできた説明で、日本語圏でも広く紹介されています。
ただし、これは『モノミス』には書かれていません。いま引いたとおり、あの本が言うのは「マグナスのように逃げおおせた者たちもいた。だから魔法には限界がない」までで、「穴」も「裂け目」も出てきません。
Morrowind・Oblivion・Skyrim の書物で言えるのも、『三十六講』第三十三説教の「太陽たるマグナス」と「空の穴」という二つの言い回しがあるところまでで、この二つは本文中で結ばれていません。マグナスがその穴を開けた、とはどこにも書かれていない。
ほぼ逐語で一致する文章は、ESO にあります。ボズマーの語り部ギルナリンが、こう語ります。
“星々はエセリウスそのものです。いえ、正確には ──太陽と星は、ニルンから逃れようとしたマグナスと、ほかの精霊たちが、夜の壁に穿った穴なのです。その穴がエセリウスの光をこの世界へ通している。彼らの世界からこちらの世界へ、マジカが滴り落ちている”
※ ESO 由来:ボズマーの語り部ギルナリンの語り(ESO)より
(… the sun and stars are holes pierced in the wall of night by Magnus …)
夜の壁に穿った穴。したがってこの宇宙論は落ちません。帰属が変わるだけです。「モノミスの宇宙論では」ではなく、「ESO でボズマーの語り部が語るところでは」と書くのが正確ということになります。
この記事は以前、これを『モノミス』の説明として紹介していました。辿ってみたところ、モノミスはそう言っていませんでした。
誤りの経路もはっきりしています。UESP の Lore:Sun のページには、太陽を「現実に開いた最大の裂け目」と説明する地の文があり、Lore:Magnus にも「彼の離脱が穴を裂き、それがニルンの太陽となった」という一文があります。
どちらにもゲーム内書物への脚注が付いており、後者には四本も付いています。ところが四本とも原文を当たると、「穴」とも「裂け目」とも書かれていません。
これは UESP が間違っている、という話ではありません。UESP の記事本文(編集者が書いた地の文)と、UESP が転載しているゲーム内書物の全文は、別物だという話です。前者は要約であり、複数の資料をつなぎ合わせた合成であることがあります。
後者は原文です。見分ける手順は単純で、地の文に付いている脚注を一本ずつ開き、その語が本当に書いてあるかを確かめる。それだけです。
なお、この宇宙論にはひとつ後日談があります。もともとゲームの外にあった説明が、のちに ESO のボズマーの語り部の口を借りて、ゲームの中へ入りました。第五章で扱う「入った文書と入らなかった文書」の話に、そのまま繋がる例です。
シロディールの創世 ──「シェザールの歌」と二つの受け取り
次はシロディール、つまり帝国の版です。同じ本の、数ページ先に載っています。ここでもロルカーン(シェザール)は神々を説得し、神々は自らの一部を切り取って世界を産みます。
出産は激しく痛み、そのあと神々はもう若くも強くもありませんでした。出来事の骨格はアルトマー版と同じです。違うのは、そのあとに神々が二つに割れる場面が書き込まれていることです。
“ある者たちは、失ったものを嘆き、苦々しく思い、シェザールに、そしてあらゆる創造に怒った。……これらのエイドラ、アーリエルを長とするアルドマーの神々は、衰えた自分自身と、自分たちが創ったものに嫌悪を覚えた”
“ほかのエイドラは創造を見て、大いに満足した。これらのエイドラ、アカトシュを長とする人間と獣人の神々は、その庇護する定命の種族を讃え、慈しんだ”
『モノミス』所収「シェザールの歌」(Morrowind・Skyrim)より
(… the Gods of the Aldmer, led by Auri-El … / … the Gods of Men and Beast Folk, led by Akatosh …)
嘆き、苦々しく思いと大いに満足した。まったく同じ喪失を、片方は屈辱として、もう片方は誇りとして受け取っています。
エルフの神々が暗く陰鬱なのも、人間の神々が忍耐強く優しいのも、この一点の分岐から説明されています。第一章で見た「神の慈悲」と「残酷な欺き」の対立が、神々の側にもそのまま存在しているということになります。
ここで、一つ整合しない点が生じます。いま引いた文章は、アーリエルとアカトシュを、敵対する二陣営の長として描いています。片方はアルドマーを率い、片方は人間と獣人を率いる。
ところが同じ本の序文は、両者を同じ竜神の別名として扱っています。あらゆるパンテオンに共通する原型として「竜神」があり、それはたいていアカトシュと呼ばれる、と。
アルトマー版で時間を作ったアーリエルも、その竜神です。つまり同じ神が、同じ本の中で、自分自身と敵対していることになります。
この版には、ほかの版が書いていない場面がもう一つあります。デイドラが、この計画を断る場面です。
“自分の一部を切り落とす? そして失う? 永遠に? 馬鹿げている! 後悔するぞ! ……我々はこの世界を自分自身の内に、永遠に我々のものとして、完全な支配のもとに作る“
『モノミス』所収「シェザールの歌」(Morrowind・Skyrim)より
(Cut parts of ourselves off? And lose them? Forever? That’s stupid! …)
馬鹿げている、と断っています。そしてデイドラ公たちは、オブリビオンに自分たちの領域を作りました。誰にも切り取られず、力を完全に保ったまま。
デイドラは創造に間に合わなかったのではなく、参加を拒否したという書き方です。この場面は第四章で、デイドラだけがニルンに干渉できる理由として再び効いてきます。
ヨクダの創世 ──「サタカル」と、飢えという読み
三つ目はレッドガードの祖先、ヨクダの民の版です。ここまでの二つとは、話の形からして異なります。
はじめにいたのは世界蛇サタク。あまりに大きく、何もかもがその中に詰まっていて、生まれるべき世界は身動きが取れませんでした。
そこで内側から飢えが生まれ、蛇は自分を食べ、脱皮を繰り返すようになります。この脱皮の連なりがサタカルです。
強い精霊たちはこの循環を抜ける歩き方を覚えました。その筆頭がルプトガ、通称トール・パパです。彼は数が増えすぎた精霊を助けるために、過去の皮の残骸から助手を作りました。それがセプ、第二の蛇です。
ところがセプには飢えが残っていました。彼は古い皮をかき集めて丸め、精霊たちを騙してそこに住まわせます。それが世界でした。
住んだ精霊たちは死ぬようになり、彼岸への道を失いました。ここまでは他の版と対応しますが、ロルカーンにあたる存在の末路が大きく違います。
“だがセプには、もっと罰が必要だった。そこでトール・パパは大きな棒で蛇を叩き潰した。飢えはセプの死んだ口からこぼれ落ち、それが第二の蛇に残された唯一のものとなった”
『モノミス』所収「サタカル ── 世界の皮」(Morrowind・Skyrim)より
(… Tall Papa squashed the Snake with a big stick. The hunger fell out of Sep’s dead mouth …)
大きな棒で叩き潰した。ここでのロルカーンは、悪意ある詐欺師ですらありません。自分の空腹に負けた哀れな存在として描かれ、棒で叩き潰されて終わります。アルトマー版の「知っていて仕掛けた」という像とは、動機の水準からして違います。
この版には、もう一つ指摘しておくべき点があります。『モノミス』の序文は、あらゆるパンテオンに竜神と不在の神という二つの原型が含まれると断言しています。
ところが、この本が自分で収録したヨクダ版に、竜神が出てきません。本が自分で載せた章によって、数ページ後に反証されている形です。
そして、この版でも何かが残ります。死んだ口からこぼれ落ちた飢えです。この「残るもの」は、あとで四つの版を突き合わせるときに効いてきます。
ダンマーの創世 ──『Sithis』と悪魔アヌイ・エル
四つ目は、ここまでの三つを裏返す立場です。暗殺者ギルド「闇の一党」やモラグ・トングに伝わるシシス崇拝の教義で、その下地は『モノミス』の序文にすでに置かれています。
“多くの文化では、世界を創る相互作用に関わったものとしてアヌイ・エルが敬われる。だがシシスこそが最も高く評価される。反応を引き起こしたのは彼だからだ。したがってシシスこそが原初の創造者であり、設計なしに本質的に変化を引き起こす存在である”
『モノミス』序(Morrowind・Skyrim)より
(… Sithis is thus the Original Creator …)
原初の創造者。序文の時点で、シシスの側に価値の重心が置かれています。そしてシシス崇拝を記した『Sithis』という本が、この立場を最後まで押し切ります。
“シシスは家の始まりである。彼の前には無があった。だが愚かなアルトマーは、この無に名を与えて崇めている。彼らが怠惰な奴隷だからだ”
“だがひとつの考えが嫉妬深くなり、死にたくないと思った。停滞と同じように、長続きしたがったのだ。これが悪魔アヌイ・エルである。……こうしてシシスはロルカーンを生み、宇宙を破壊するために遣わした。ロルカーン! 不安定なる変異体よ!”
『Sithis』(Morrowind・Oblivion・Skyrim・ESO)より
(… the foolish Altmer … This was the demon Anui-El … Lorkhan! Unstable mutant!)
悪魔アヌイ・エル。アルトマー版で「アヌの魂」と呼ばれていた存在が、ここでは悪魔と名指しされています。可能性を永遠に不完全な世界へ閉じ込めた側こそが悪だ、という評価の反転です。
そしてロルカーンは、罠を仕掛けた者ではなく停滞からの解放者として位置づけられます。彼が定命の世界を創ったからこそ、万物はふたたび朽ちて、変化できるようになった。アルトマーが呪いと呼んだものを、この教義は解放と呼んでいます。
アヌイ・エルとシシスの入れ子構造 ──なぜアヌアドでは兄弟の話だったのか
ここで、第二章のアヌアドと『モノミス』の関係を整理しておきます。アヌアドを読んだあとだと、アヌとパドメイは意志を持った兄弟の神に見えます。
嫉妬し、殴り、剣を振るう。きわめて人間的な存在です。ところが『モノミス』の語るアヌとパドメイは、そういう存在ではありません。
この本において、二人は「神」ではなく宇宙を構成する二つの原理です。アヌは純粋な静止で、変化しないこと、留まること、そのもの。
パドメイは純粋な変化で、動くこと、壊すこと、作り変えること、そのもの。人格も意志も、本来は持っていません。
現実の世界で喩えるなら「エネルギー」や「エントロピー」に近い感覚でしょうか。エネルギーが怒ったり嫉妬したりしないのと同じです。ただ「ある」と「変わる」という、二つの基本的な状態がある。

そして、それだけでは何も生まれません。純粋な静止と純粋な変化が存在するだけでは、世界になりません。
そこでそれぞれが、自分を認識するための「魂」のようなものを生み出した──というのが『モノミス』の語り方です。アヌの魂がアヌイ・エル、その対項として置かれるのがシシスで、両者の中間に世界が位置づけられます。
“アヌイ・エルは永遠の、言い表しえぬ光。シシスは腐敗する、言い表しえぬ行為。その中間にあるのが灰色の曖昧(Gray Maybe)である”
『モノミス』序(Morrowind・Skyrim)より
(… In the middle is the Gray Maybe.)
灰色の曖昧。白でも黒でもなく「たぶん(Maybe)」としか言いようがない領域が、ニルンの、そして宇宙全体の本質だとされています。
アヌアドが兄弟の物語として語ったのは、この抽象的な原理を、定命の者が理解できる形に落とし込んだ結果だと考えられます。
人格を持った神の物語という、馴染みのある器に移し替えたわけです。アヌアドが「注釈付き」「子供向け」「意訳」と呼ばれるのには、そういう理由があります。
ただし、抽象的なほうが正確だとは限りません。次節で見るとおり、『モノミス』の側も一枚岩ではないからです。
ロルカーンという問い ──世界は贈り物か、罠か
四つの版を読み終えたので、整理します。ロルカーンの評価は、語り手によって次のように分かれます。
- アルトマーにとっては詐欺師。神々を騙して不死を奪った
- 人間にとっては恩人。弱い者でも自己省察を通じて不死へ至れる場所を作った
- レッドガードにとっては哀れな失敗。自分の飢えに負けて棒で叩き潰された
- シシス崇拝においては解放者。停滞を破って世界にふたたび変化をもたらした
第一章に置いた「神の慈悲」と「残酷な欺き」は、修辞ではありませんでした。四つの民が、同じ出来事について本当に別のものを見ています。
四つの版は、細部で食い違っているのではありません。同じ出来事の意味そのもので食い違っています。
しかも食い違いは、版と版のあいだだけで起きているのではありません。もう一段手前、『モノミス』一冊の内部で起きています。次の二つは、どちらも同じ本の文章です。
【序】”したがってシシスこそが原初の創造者であり、設計なしに本質的に変化を引き起こす存在である”
(Sithis is thus the Original Creator, an entity who intrinsically causes change without design.)【「世界の心臓」】”こうしてシシスが生まれた。アヌイ・エルが自分自身を考えるために用いる、あらゆる限界の総体として”
『モノミス』序/同所収「世界の心臓」(Morrowind・Skyrim)より
(Thus was born Sithis, who was the sum of all the limitations Anuiel would use to ponder himself.)
原初の創造者とあらゆる限界の総体。前者では宇宙の起点であり、後者ではアヌイ・エルが自分を考えるために生んだ副産物です。
これを「後者はアルトマー版だから」と処理することはできません。前者は「すべてのタムリエルの宗教は同じように始まる」という普遍命題として書かれているからです。
全部に当てはまるはずの前提が、同じ本に収録された一章によって否定されている。二冊が食い違うより先に、一冊がすでに自分と食い違っています。
では、これだけ食い違うものの中に、共通するものはあるのか。ひとつだけあります。
アルトマー版では、心臓は取り出され、壊そうとしたら笑い、壊せませんでした。ヨクダ版では、飢えがセプの死んだ口からこぼれ落ち、それだけが残りました。
そして Morrowind 本編では、その心臓はレッドマウンテンの地下にあって、数千年経ってもなお力を放っています。どの民の版でも、何かが世界の中心に埋め込まれ、そしてそれは取り除けません。
創世の解釈がこれほど割れているのに、この一点だけが揺らぎません。四つの民が別々の言葉で、同じ結び目を語っている。
贈り物か罠かという問いには決着がつかない一方で、「世界の中心に、取り除けないものがある」という一点だけは、どの語り手も動かしていないということになります。
第四章:神話の終わり、歴史の始まり ──コンヴェンション
コンヴェンションで決まったこと
心臓が射られ、逃げる者は逃げ、残る者は残りました。それでも、まだ決着していないことがありました。この後、世界をどうするのかという問題です。
残った神々は、ニルンに現存する最古の建造物であるアダマンティンの塔(現在のハイロック地方バルフィエラ島にあるディレニの塔)に集まり、会議を開きます。これがコンヴェンション(Convention)です。
“定命の世界の計画を立てた設計者である魔法(マグナス)が、この計画を打ち切ると決めたとき、神々はアダマンティンの塔に集まり、どうするかを決めた。多くはマグナスとともに去った。ほかの者は、留まるために自らを別の形へと犠牲にした(エルノフェイ)。ロルカーンは神々によって定命の領域への追放を宣告され、その心臓は引き抜かれ、塔から投げ落とされた。落ちた場所に火山ができた。魔法が(神話的な意味で)去ると、宇宙は安定した。エルフの歴史は、ついに直線となって始まった“
『Before the Ages of Man』(Oblivion・Skyrim)より
(… his heart was torn out and cast from the Tower … Elven history, finally linear, began.)
塔から投げ落とされた。ここで、アルトマー版との食い違いが出ます。「世界の心臓」では、心臓は矢に結ばれて遠い海へ射られていました。この本では、塔から投げ落とされています。
心臓がレッドマウンテンにあるという結論は共通で、そこへ至る経緯だけが違う。世界の法が定まった瞬間を正面から語る文書はほぼこの一冊きりで、その一冊がすでに別の版と食い違っている、ということになります。
ともあれ、この会議でロルカーンは正式に裁かれ、定命の世界を律する法が定められました。そして神々は世界から撤退しました。
神々が直接ニルンに存在し続けると、現実そのものが不安定になるからです。時間は歪み、物理法則は揺れ、世界が再び暁の時代の混沌に戻りかねない。
コンヴェンションをもって時間はまっすぐ流れ始め、出来事に「前」と「後」がはっきり存在するようになりました。歴史が歴史として成立するのは、この瞬間からです。
三つの選択 ──エイドラ、デイドラ、マグナ・ゲ
ムンダスの創造にあたって、精霊たちは三つに分かれました。この分岐が、TESの神々の分類そのものになっています。
残った者たち。のちにエイドラと呼ばれます。ムンダスに留まり、自分の力を削って世界を支えました。
自らの体を自然法則そのものに変えて世界の骨組みとなった者(エルノフェイ)もいれば、力を薄めながら子を作って定命の者の祖先となった者もいます。彼らは自分を差し出した分だけ弱くなりました。
断った者たち。デイドラです。第三章で読んだとおり、彼らは「自分の一部を切り落とす? 馬鹿げている!」と言って参加を拒みました。
そしてオブリビオンに自分の領域を作り、力を完全に保ちました。代わりに、ムンダスを自分のものとして持つことはできません。
途中で逃げた者たち。マグナ・ゲです。設計者マグナス自身が計画を打ち切ると決めたとき、彼に続いてエセリウスへ帰りました。エイドラのように力を犠牲にせず、デイドラのようにオブリビオンに留まりもしなかった、第三の選択です。
この三つ目が興味深いのは、マグナスがもともと設計者だった点です。計画を立てた本人が、代償の大きさに気づいて自分の計画から降りている。
先ほど引いた『Before the Ages of Man』が、コンヴェンションの記述を「魔法(マグナス)が、この計画を打ち切ると決めたとき」から始めているのは、そのためです。神々の会議は、設計者の離脱を受けて開かれたことになります。
デイドラだけが干渉できる理由
コンヴェンション以降、エイドラが定命の世界に直接介入することは原則としてなくなります。信仰を通じて力を貸すことはあっても、姿を現して地上を歩き回ることはありませんでした。
これがデイドラとの決定的な違いです。デイドラはコンヴェンションに参加していません。そもそもムンダスの創造そのものを断っているので、この取り決めに縛られない。だからデイドラ公たちは、その後も自分のオブリビオン領域からニルンに手を伸ばし続けます。
Oblivion のメインクエストでメエルーンズ・デイゴンが侵攻してくるのも、Skyrim でハルメアス・モラが介入してくるのも、そのためです。
一方、アカトシュやマーラがプレイヤーの前に直接姿を現すことは基本的にありません。これは演出上の都合ではなく、断った者だけが自由でいられるという、あの選択の帰結です。
二つの終わり ──暁の時代とメレシック紀
ここで時代の区切りを整理しておきます。神話の終わりとされる日は、二つあります。
- コンヴェンション ── 神々が世界から退いた日。ここで暁の時代(Dawn Era)が終わり、時間がまっすぐ流れ始めます
- ハラルド王の登場 ── イスグラモルの血筋の十三代目が現れ、文字の記録が始まった日。ここでメレシック紀(Merethic Era)が終わります
アヌアドの結び「そしてメレシック紀は終わりました」が言っているのは、後者です。神々の側の終わりではなく、人の側の終わりを書いている。つまり二冊は食い違っているのではなく、違う終わりを語っているだけということになります。
そしてアヌアドが定命の者にとっての終わりのほうを採ったことには、それなりの理由があります。
定命の者にとっては「王が現れて文字の記録が始まった」ことこそが、実感としての歴史の始まりだからです。神々の会議など、定命の者は誰も見ていないのですから。
第五章:エナンティオモルフ ──言葉の出どころ
エナンティオモルフとは何か
ここまで読むと、ひとつの形が繰り返し現れていることに気づきます。二つの対立する力があり、そのあいだで何かが起きて、誰かが傷つく。アヌとパドメイ。アーリエルとロルカーン。
この形に付けられた名前がエナンティオモルフ(Enantiomorph)です。もとは化学用語で「鏡像異性体」を意味します。右手と左手のように、同じ構造でありながら鏡で反転していて、重ね合わせられないもの。
日本語圏でも、この語はよく紹介されます。そしてたいてい、次のような四つの役からなる法則として説明されます。
- 王(King)と反逆者(Rebel)が争う
- 両者が奪い合う触媒として恋人(Lover)がいる
- 決着を判定した証人(Witness)が、代償に目を失う
この節で確認するのは、この語と、この定義が、それぞれどこに書かれているのかです。結論を先に書くと、語はゲーム内の書物にあります。四役の定義はありません。以下、順に典拠を示します。
『三十六講』に実際にある記述 ──説教二十九・三十五・十一
語そのものは、Morrowind に置かれているヴィヴェクの『三十六講』の中にあります。第二十九説教「数の聖典」です。以下はその冒頭およそ四分の一で、全体は同じ形式で三十六番まで続きます。注目したいのは二行目です。
数の聖典
『三十六講』説教二十九「数の聖典」(Morrowind)より(中略は当記事による)
1. ドラゴンブレイク、あるいは塔 ── 1
2. エナンティオモルフ ── 68
6. 歩む道(六つの道) ── 266
21. 子宮 ── 13
36. 時 ── 364
(3〜5、7〜20、22〜35 も同じ形式で並びます)
The Scripture of the Numbers: 1. The Dragon Break, or the Tower. 1 / 2. The Enantiomorph. 68 / 6. The Walking Ways. 266 / 21. The Womb. 13 / 36. The Hours. 364
2. The Enantiomorph. 68. 語はたしかにあります。六行目の 6. The Walking Ways(神に至る六つの道)も同様です。
ただし、この説教にあるのは名前と番号だけです。注釈はありません。定義もありません。番号が何を指すのかも書かれていません。
「六つの道」については、もう少し親切な一行が別の説教にあります。
“歩む道は六つある。謎から、敵へ、そして教師へ”
『三十六講』説教六(Morrowind)より
(Six are the walking ways, from enigma to enemy to teacher.)
六つあるということまでは書かれています。中身については、第三十五説教「愛の聖典」がもっとも詳しく触れています。
ただし、この本の文体をそのまま示す必要があるので、一段落まるごと引きます。取り出したいのは大文字の ANU を含む一文です。
おまえの愛を、地平線に対する防御とせよ。純粋な存在は聖なる者にのみ許される。それは無数の形をとり、その半分は恐ろしく、残りの半分は等分に、無目的なものと保証されたものとに分かれている。第五の道以外の歩む道によってここへ至る恋人は、遅れて来た者である。第五とは、この世界の限界の数である。恋人とは最も高き国であり、一連の信念である。彼は分身を欠いた聖なる都市である。怪物たちの耕されざる地こそが法である。このことは、アヌとその分身によって明らかに証されている。ただし愛は、それが実際には一度も起こらなかったことを知っている。
『三十六講』説教三十五「愛の聖典」(Morrowind)より
… Late is the lover that comes to this by any other walking way than the fifth … This is clearly attested by ANU and his double …
This is clearly attested by ANU and his double. ──アヌと、その分身によって、それは明らかに証されている。
この一段落から確実に取り出せるのは二つだけです。「第五の道」という数があることと、「アヌと、その分身」という対があること。
残りは訳しても事情は変わりません。日本語にしたところで「愛は地平線に対する防御である」といった文が並ぶだけで、命題として取り出せる形になっていません。
とはいえ、この本が全篇にわたって読めないわけではありません。第十一説教には、はっきり読める一行があります。
“シャルマットは彼の分身である。だからおまえは、自分が何も統べていないのではないかと訝る”
『三十六講』説教十一(Morrowind)より
(The Sharmat is his double, and therefore you wonder if you rule nothing.)
分身(double)。シャルマットとはダゴス・ウルのことで、ヴィヴェクはこの説教でネレヴァルに向かって語りかけています。おまえと、おまえの敵は、鏡写しの一対なのだ、と。
同じ説教にはこうもあります。「ホーテイターとシャルマット、一と一で十一。……もし二人が入れ替わったとして、おまえに見分けられるか?」
つまり、読める文もあれば読めない文もあり、どちらも同じ本に収められています。原典の側にあるのは、この水準の記述です。
「対になる二者」という発想と、「エナンティオモルフ」という名前と、番号。定義と役の配当は、この本にはありません。
四つの役の出どころ ──『Loveletter From the Fifth Era』
では、王・反逆者・恋人・証人という四役はどこから来たのか。『三十六講』全三十六篇を通して役名を探すと、結果はこうなります。
| 役 | 『三十六講』本文に立つか |
|---|---|
| 王(King) | ○ 立つ。説教十一の「the ruling king」、説教十九の「two-headed king」 |
| 反逆者(Rebel) | ✗ 役名としては現れない |
| 恋人(Lover) | ✗ 語はあるが意味が逆。説教三十五の lover は第五の道を歩く当人であって、奪い合われる対象ではない |
| 証人(Witness) | ✗ 二例あるが、どちらも役ではない |
四役のうち、本文で立つのは王だけです。二役目から成立しません。
六つの道に番号と名前を割り当てて一覧にした文書があります。『Loveletter From the Fifth Era』です。ここで初めて六つの道それぞれに名前が振られ、その五番目が「エナンティオモルフ」と名指しされます。
この文書は、どのゲームにも収録されていません。UESP はこれを unofficial、not typically considered a valid source と明記しています。
なお、UESP に Lore:Enantiomorph という独立したページは存在しません。この語は Lore:Walking Ways の一節へのリダイレクトです。
整理すると、言葉はゲームに入りました。言葉に体系を与えた文書は、入りませんでした。線は概念に引かれているのではなく、文書に引かれています。
四役を当てはめたときに起きること ──四つの実例
収録されていない文書に由来する定義であっても、原文をうまく説明できるなら、解説上の道具として使う余地はあります。実際に当てはめてみます。以下の四件は、いずれもこの記事がここまでで読んできた本の中の話です。
ひとつ目。トリニマックは「中立の第三者」ではありません。アーリエルとロルカーンが争い、あいだに立ったトリニマックが決着をつけた──と読むと、きれいに役が揃います。ところが原文の呼び方は違います。
“ついにアーリエル最強の騎士トリニマックが、軍勢の前でロルカーンを打ち倒し、手以上のもので彼の心臓を掴み取った”
『モノミス』所収「世界の心臓」(Morrowind・Skyrim)より
(Finally Trinimac, Auriel’s greatest knight, knocked Lorkhan down …)
アーリエル最強の騎士。対立の、一方の側の人間です。しかもこれは書き手の気まぐれな形容ではありません。
Morrowind の別の書物『The Anticipations』も、彼を「アーリエルの闘士トリニマック」(Auriel’s champion, Trinimac)と呼んでいます。二冊が一致しています。原文は、味方が敵を討ったとしか書いていません。
ふたつ目。ニルは「証人」ではありません。第二章で読んだアヌアドの全文では、ニルはパドメイに打たれ、そのあと創造を産み、傷がもとで死にます。決着を見届けていません。決着の前に打たれ、決着の後に死んでいます。目も失いません。
そして四役の定式に照らしても合いません。定式は「両者に望まれた触媒」と「決着を判定して盲いる者」を別の役として分けており、両者に望まれた存在であるニルは前者の側です。
ちなみに先ほどの数の一覧では、21. The Womb ──ヴィヴェクはニルを「子宮」と数えています。
三つ目。誰が証人なのかで、説明する人ごとに答えが変わります。これは原典の話ではなく、読む側の話です。最初の一件をアヌとパドメイの争いだとしたとき、そこで盲いた証人は誰か。
ニルだと言う人がいます。トリニマックだと言う人がいます。マグナスだと言う人もいます。同じ枠組みを同じ神話に当てはめて、答えが揃わない。同定が一致しない型は、型として機能していません。
四つ目。ヴィヴェクの片目は、この法則の例ではありません。「証人は代償として視覚を失う」という法則の実例として、ヴィヴェクの片目が閉じている、という話がよく語られます。
ところが、目を焼かれる場面は第二説教にあり、焼かれるのは母親の両目です。卵の中のヴィヴェクについては、本文にこう書かれています。
“けれども卵像は、太古の昔、大地がまだ冷えていたころの自らの姿を見通すことができ、盲いることはなかった“
『三十六講』説教二(Morrowind)より
(The egg-image, however, … was not blinded.)
盲いることはなかった(was not blinded)。解釈の余地がある話ではなく、書いてあることの逆でした。
ヴィヴェクの外見についても、両目赤(ESO)、両目金(Morrowind)、赤と金の左右異色(Legends)の三通りがあり、閉じた目という描写はありません。
四件のうち、四件とも原文と合いませんでした。枠組みが原文を説明したのではなく、枠組みが原文を上書きしていたということになります。
最後に、あの説教に戻ります。数の一覧が並んだあと、第二十九説教はこう締めくくられています。
“耳の聞こえぬ証人の在ること、それが数というものだ。それらはオービスにしがみついている、自らの神性の最後の郷愁として。数の像とは、いま当てはめられている用法にすぎない。それは愚かなことだ、上に述べたとおりに。ひとつの記号に括りつけられるのは、あまりに、あまりに断定的にすぎる“
『三十六講』説教二十九「数の聖典」(Morrowind)より
(… The effigies of numbers are their current applications; this is folly … To be affixed to a symbol is too, too certain.)
ひとつの記号に括りつけられるのは、あまりに断定的にすぎる。「エナンティオモルフ」という言葉が置かれている、その同じ説教の締めくくりがこれです。
番号に確定した意味を割り当てる読み方を、本文の側があらかじめ牽制している形になっています。
反復の実例 ──原典に足がつくもの、つかないもの
「創世の型が歴史の中で何度も繰り返される」という語り方があり、実例としていくつもの出来事が挙げられます。定義のほうを検討したので、ここでは挙げられる実例を一件ずつ確認します。
ネレヴァリンとダゴス・ウル。これは原典に足がついています。ヴィヴェク自身が説教十一でこの二人を一対として語っているからです。先に引いた「シャルマットは彼の分身である」がそれにあたります。
そしてレッドマウンテンの地下での決着にヴィヴェクが立ち会うことは、Morrowind 本編のクエストそのものです。
挙げられる実例のなかで、原典に足がついているのはこれだけです。この三人をめぐる経緯はトリビュナル連載 その4で詳しく扱っています。
タロスとズーリン・アークタス。枠組み側がもっとも有名な例として挙げるのがこれです。ただし、よく語られる「タロスとはタイバー・セプティム、ズーリン・アークタス、ウルフハースの三人が一人になったものだ」という説明には、注意が必要です。
Morrowind と Skyrim に収録されている『アークトゥルス異聞』は、「ズーリン・アークタス、大魔導士(アンダーキングではない)」と、わざわざ括弧つきで別人だと明記しています。
ウルフハース=アンダーキングとズーリンは、原典では別人です。三者が一人になったという記述には、典拠が見当たりません。
ただし、同じ本にはこういう問いが残っています。「なぜタイバー・セプティムは、最初の猛々しい征服のあと、別人のように見えるのか?」 何かが起きたことは、原典自身が認めています。何が起きたのかを一枚の図にまとめているのが、ゲームの外の文書だという話です。
マーティンとメエルーンズ・デイゴン。シェオゴラスとジャガラグ。これらを実例として数え、プレイヤーを立会人と見なす説明も見かけます。典拠は見つかりませんでした。そもそもプレイヤーは目を失いません。
Shivering Isles を終えたプレイヤーがシェオゴラスとして Skyrim に現れること、そのシェオゴラスの目が白く濁っていることは事実ですが、これをこの法則と結びつけるのはロアコミュニティの解釈であり、公式に明言されたものではありません。
こうして並べると、原典に足がつく実例はかなり減ります。創世の型が本当に反復しているのか、それとも反復を見出したいという読み方が先にあるのか。ここは決着をつけずに開いたままにしておきます。
資料の来歴 ──入った本と、入りそこねた本
ここから一節だけ、作中の話ではなく、この記事が読んできた資料が現実の世界でどう作られたのかという話をします。まず、著者を並べます。
| 資料 | 書いた人 | ゲームに入ったか |
|---|---|---|
| 『注釈付きアヌアド』 | Michael Kirkbride + Kurt Kuhlmann | 入った(Morrowind / Oblivion / Skyrim / ESO) |
| 『モノミス』 | Michael Kirkbride(草稿には Ken Rolston も) | 入った(Morrowind / Skyrim) |
| 『Cosmology』 | Michael Kirkbride | 入らなかった |
| 『Loveletter From the Fifth Era』 | Michael Kirkbride | 入らなかった |
この記事が読んできた二冊の本にも、四役の体系を作った文書にも、同じ書き手が関わっています。そして『モノミス』については、こういう来歴が記録されています。
“Michael Kirkbride がこの本を最初に投稿し、著者として謎めいた「Temple Zero Society」を挙げた。しかし、ゲーム内に現れた版には著者が記されていない。”
(… no author is listed in the version of the book that appeared in-game)
※作中資料ではありません:UESP『The Monomyth』書誌注記
『モノミス』は、最初ゲームの外に、架空の団体名義で投稿されました。そして後にゲームへ収録されたとき、著者名は消えていました。
同じ「Temple Zero Society」名義で、同じ書き手がもうひとつ投稿しています。『Cosmology』という文書です。こちらは入りませんでした。
原典と非原典を分ける線は、そこに引かれています。同じ手が書き、同じ架空の団体を名乗り、近い時期に世に出た。違いは、どの扉から入ったかだけです。
では、なぜその扉で線を引くのか。入ったほうが優れているからではありません。線を引かずに読んだ結果、この記事は前節で四件の読み違えを確認したからです。「アーリエル最強の騎士」と書いてある文が、「中立の第三者」として読まれていました。
線を引くのは、片方が偉いからではありません。線を引かないと、原文が読めなくなるからです。
そして、この構図は第三章で見たものと同じです。同じ出来事が、語り手ごとに違う物語になる。アルトマーは罠と読み、人間は慈悲と読み、レッドガードは自滅と読み、シシス崇拝は解放と読みました。
その現象は、ニルンの中だけで起きているのではありません。「TESのロア」と呼ばれているもの自体が、ゲームの中と外で版に分かれており、多くの場合、読む側はどちらを読んでいるかを意識しないまま読んでいます。
アルトマーが「あれは罠だった」と信じているのと、日本語圏の紹介が「エナンティオモルフとは四役の法則だ」と説明してきたのは、構造として同じことだと言えます。
まとめ
この記事では、『アヌアド』と『モノミス』を手がかりに、暁の時代を読み解いてきました。最後に、ここまでの内容を整理します。
アヌアドとモノミスの役割分担 ──物語と構造
アヌアドは、宇宙の成り立ちを兄弟の争いという物語に翻訳して、誰にでもわかる形で書かれたものです。モノミスは、その物語の裏にある抽象的な原理を段階的に明かしたものです。
アヌとパドメイは概念であること、その魂としてアヌイ・エルとシシスがあること、その中間が「灰色の曖昧」であること。どちらが正しいのではなく、同じ出来事を違う深さで語っています。
神々の不完全さ
エイドラは力を削って世界を支えました。デイドラはそれを断ってオブリビオンに引きこもりました。マグナ・ゲは途中で逃げました。どの神も、創世の過程で何かを失うか、何かを放棄しています。
TESの神々が誤りを犯し、互いに憎み合い、ときに死ぬのは、彼ら自身がもう完全ではないからです。アヌアドが神々を「血の混ざりもの」として紹介したのは、その前提を最初に置いていたことになります。
ロルカーンの評価が定まらない理由
アルトマーにとっては詐欺師。人間にとっては恩人。レッドガードにとっては哀れな失敗。シシス崇拝においては解放者。この食い違いは、どれかが間違っているのではありません。
アルトマーが自分たちを「堕とされた者」と考えなければ、失われた神性を取り戻そうとするあの執念は生まれません。人間が世界を贈り物だと考えなければ、この不完全な場所で前へ進む理由がありません。
それぞれの版は、それを語る民が自分たちの立ち位置を引き受けるために必要だったものです。どれかを正史に選べば、ほかの三つの民の生き方が根拠を失います。
ただし、四つが揃って認めていることがひとつだけありました。心臓は取り出され、そして壊せなかった。
矢で射たのか塔から投げ落としたのか、詐欺だったのか慈悲だったのかは食い違ったままですが、世界の真ん中に何かが埋め込まれていて取り除けないという一点だけは、どの民も動かしていません。
反復説の現在地
エナンティオモルフという語はゲーム内の書物にあります。四役の定義は、収録されなかった文書に由来します。そして四役を原典に当てはめると、確認した四件すべてで原文と食い違いました。
反復の実例のうち、原典に足がつくのはネレヴァリンとダゴス・ウルの一件だけです。創世の型が本当に反復しているのかどうかは、この記事では決着をつけていません。
出典の線の引き方
この記事が全体を通してやっていたのは、どの一文がどの本に書いてあるのかを、いちいち確かめる作業です。
手間のかかる作業ではあります。「アーリエル最強の騎士」と書いてあるかどうかを確かめるだけのために、原文を開かなければなりません。
それでも、確かめないと何が起きるかは、第五章で四件ぶん見たとおりです。書いていないものが見えてきて、書いてあるものが見えなくなります。
手順そのものは単純です。UESP の記事本文は編集者が書いた要約であり、複数の資料をつなぎ合わせた合成であることがあります。
地の文に付いている脚注を一本ずつ開き、その語が本当に書いてあるかを見る。それだけで、帰属の誤りはかなりの割合で防げます。
TESのロアが他のファンタジー作品と決定的に違うのは、正解が一つに定まらないことが、設定の欠落ではなく設計そのものだという点です。
暁の時代について書かれた本は、互いに食い違ったまま、同じ棚に並んでいます。そしてそれは、どれかが後から書き換えられるべき暫定版だからではありません。
四つの民がそれぞれの立ち位置から世界の始まりを語り、その全部が同時に本棚に存在している状態そのものが、TESの創世神話の完成形です。
この記事で扱ったのは、TESの深いロアのほんの入口にすぎません。ヴィヴェクの三十六の説教、神に至る六つの道、CHIM、ドラゴンブレイク、ヌミディウム。
まだまだ続きがあります。そのどれを読むときも、やることは同じです。どの本に書いてあるのかを、開いて確かめる。それだけで、TESのロアはずいぶん違って見えてきます。
ここで見た心臓が、三千五百年後にどうなったのか。その顛末は、別の連載で扱っています。
→ 【TES世界観解説】トリビュナルとは何者か その1:チャイマーと第一評議会
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